続くお別れ
- 投稿日:2017年 5月19日
- テーマ:その他
昨日18日叔父が亡くなった。
私の父の弟で我が家が実家となる。
田舎では本家と呼ばれる立場が葬儀を取り仕切ることが多く
35年前に父を亡くした私がその立場となる。
地元に帰ってきて早30年。
これまで数多くの冠婚葬祭を経験してきた。
喪主も父、祖母、母と既に3回を務めており
年齢の割には少し葬儀には詳しいかもしれない。
ところで17日にもご近所の方がご逝去されており
先に葬儀の案内「お知らせ」をいただいている。
お亡くなりになったお二人とも藤根商店会で
商売をされてきており、更にご近所でもある。
葬儀の参列者はどうしても重複するために
できる限り葬儀等が重ならないように配慮せざるを得ない。
和尚様の都合、火葬場の都合、葬儀社の都合
何よりもご遺族の都合、今回は参列者への配慮と
進める上でかなり複雑であったと思う。
なんとか日程も決まり安堵したというのが本音。
さて冠婚葬祭は年齢を重ねたから詳しいのではなく
その立場にならないと分かるものではない。
たとえその立場になった場合でも悲しみにくれ
実は何も覚えていないというのが実情である。
私に課せられた使命もあるのだろうと葬儀の度に
考えさせられている。
合掌
親鸞聖人が詠まれたと伝わる和歌
「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」