門徒もの知らず

  • 投稿日:2017年 5月21日
  • テーマ:その他

皆さんは、「門徒もの知らず」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
私のご近所で不祝儀が続くものですから、少し葬送について考えてみたいと思います。

 門徒とは浄土真宗の在家の信者のことを言いますが、私も西本願寺の門徒となります。
言葉通りに解釈すると、浄土真宗の信者はものを知らない、つまり世間の常識を知らないということになります。


 事実、そのような意味に使われていたようですが、この言葉は元々、「門徒物忌み知らず」と言われていたものが略されて、「門徒もの知らず」になったと言われています。

 「ものを知らない」というのではなく「物忌みを知らない」ということです。

 「物忌み」というのはバチやタタリを畏れ、それを避けることを言いますが、これが実は浄土真宗の教えから言えば、全くの迷信・俗信と言われております。つまり、「門徒物忌み知らず」とは、迷信俗信にとらわれない浄土真宗の門徒の生き方を示した言葉だったのです。
 今回の叔父の葬儀は住職の都合もあり6日目での開催となっており、他の宗派ではあり得ないことだといえます。
 江戸時代の儒学者、太宰春台が「浄土真宗の門徒は弥陀一仏を信ずること専らにして、いかなることありても祈祷などすることなく、病苦ありても呪術、お守りをもちいず。みなこれ親鸞氏の力なり」と、語っているように、その門徒の暮らしぶりは、古くから大変驚きの目で見られておりました。

 ここで、「物忌み」と言われるものをいくつか紹介してみましょう。


 まず、「大安」「仏滅」「友引」といった、日の良し要しをいう、「六曜」というものがあります。
 結婚式は仏滅にしない、大安にする。
 友引には葬式は出さないといったことです。
 なぜ、友引に葬式をしないのかというと、死んだ人が親しい友を引っ張っていくからというのです。
 これは友引という字が、「友を引く」と書きますから、そのように解釈したのでしょう。(火葬場などの葬送に関わる職業の休みの為だとも言われています。)

 或いは、ほとんどの結婚式が「大安」を選んで行なわれますが、昨年離婚した夫婦は三十万組もあります。
 
 (少しでも幸せな人生を歩みたいという人情は理解できますが・・・)

 私にとって、今日という一日は後にも先にもない、たった一度きりの一目です。
 大事なことは、かけがえのないこの「いのち」を精一杯輝かせて生きていく、そんな一日にしていくことです。
 まさに「日日是好日」なのです。

 また、物忌みには語呂合わせによるものがあります。
 病院や、ホテル、マンションに4号室や9号室がないのは、これは言うまでもなく数字の「4」は死を連想し、「9」は苦を連想することからきた物忌みです。
 
 特に、葬儀ともなると、「物忌み」のオンパレードです。
 一膳飯に箸を立てる。遺体の上に魔よけの刀を置く。出棺時にお茶碗を割る。お棺をぐるぐる回す。清め塩を使う。 火葬場への行きと帰りの道を変える。
 (浄土真宗では基本的には行わないのですが、葬送は地域の風習もあり柔軟に対処しています。逆にこの柔軟な対応が「門徒もの知らず」と言われるところでもあります。)

 まだまだありますが、これらはすべて、死者を「穢れ」と見て、バチやタタリを畏れることから生まれた習俗です。無知とはいえ、亡き方にこの上もない失礼なことをしているのです。
 
 親鸞聖人は、こうした迷信俗信に惑わされている人々を悲しまれ、すでに800年の昔に、 

  悲しきかなや道俗の
  良時・吉日えらばしめ
  天神地祇をあがめつつ
  卜占祭祀つとめとす

というご和讃を作られています。

 意訳すれば、「悲しいことに、今時の僧侶や民衆は、何をするにも日の良し悪しを気にしてみたり、また天の神、地の神を奉り、占いやまじないなどの迷信にかかり果てている」ということです。
 人間の根元的な迷いは昔も今も変わらないということを、私たちに教えてくれていますね。

 私は人の死を「忌み嫌う」ことや「穢れ」、また「死んだら終わり」とは思えません。
誰にも平等に臨終が訪れます。死を意識して暮らすことは、生を意識して暮らすことに他ならないと思います。

 メメント・モリという「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句があります。

「門徒もの知らず」とは、迷信などに惑わされることなく「今を生きる」という意味と同じようです。

 それが、いただいたこの「いのち」を本当に活かしきる唯一つの道だからであります。

さて、今日はこれから二つの火葬に参ります。合掌



続くお別れ

  • 投稿日:2017年 5月19日
  • テーマ:その他

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昨日18日叔父が亡くなった。
私の父の弟で我が家が実家となる。
田舎では本家と呼ばれる立場が葬儀を取り仕切ることが多く
35年前に父を亡くした私がその立場となる。
地元に帰ってきて早30年。
これまで数多くの冠婚葬祭を経験してきた。
喪主も父、祖母、母と既に3回を務めており
年齢の割には少し葬儀には詳しいかもしれない。
ところで17日にもご近所の方がご逝去されており
先に葬儀の案内「お知らせ」をいただいている。
お亡くなりになったお二人とも藤根商店会で
商売をされてきており、更にご近所でもある。
葬儀の参列者はどうしても重複するために
できる限り葬儀等が重ならないように配慮せざるを得ない。
和尚様の都合、火葬場の都合、葬儀社の都合
何よりもご遺族の都合、今回は参列者への配慮と
進める上でかなり複雑であったと思う。
なんとか日程も決まり安堵したというのが本音。
さて冠婚葬祭は年齢を重ねたから詳しいのではなく
その立場にならないと分かるものではない。
たとえその立場になった場合でも悲しみにくれ
実は何も覚えていないというのが実情である。
私に課せられた使命もあるのだろうと葬儀の度に
考えさせられている。
合掌

親鸞聖人が詠まれたと伝わる和歌
「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」


いたずらに時を過ごすな

  • 投稿日:2017年 5月16日
  • テーマ:理念

立志尚特異 (立志は特異をとうとぶ)
俗流與議難 (俗流はともに議し難し)
不思身後業 (身後の業を思はず)
且偸目前安 (且つ目前の安きをぬすむ)
百年一瞬耳 (百年は一瞬のみ)
君子勿素餐 (君子素餐するなかれ)

志を立てるためには人と異なることを畏れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思いわずらうな
また目前の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことのないように

この詩は、吉田松陰が当時14歳の塾生 山田顕義に扇に書いて贈った詩である。
その約1年後、松陰はこれまでの討幕計画により先ず藩により投獄され、後に幕府により江戸へ移されの安政6年(1859年)10月27日に斬首刑に処せられている、享年30歳。

山田顕義は、山田顕義は岩倉使節団に理事官として参加、明治維新で活躍、その後は大村益次郎の後継者として、病床の大村より日本近代軍制の創設について指示を受け、1兵部少輔久我通久と連署で大村の遺策をまとめた『兵部省軍務ノ大綱』を太政官に提出する。大村の継承者として大坂を中心とした兵部省確立に尽力した。第一次伊藤内閣では、司法大臣となっている。日本のナポレオンとも呼ばれている。

山田顕義は、日本の国情に合った法学の樹立を目指しながら、後の大日本帝国憲法起草者金子堅太郎や当時の帝国大学法科大学の総代宮崎道三郎を筆頭とする法学者11名と共に、1889年(明治22年)、皇典講究所内に日本法律学校、後の日本大学、を創設している。


吉田松陰
http://www.yoshida-shoin.com/

日本大学の学祖・山田顕義
http://www.yoshida-shoin.com/monka/yamda.html



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