組織をかえるとは自分を変えること

  • 投稿日:2017年 5月15日
  • テーマ:理念


『21世紀臨調』の特別顧問を務めた中坊公平が、このように言っている。
「人を動かすのは、正面の理、側面の情、背面の恐怖、の三つである。」



簡単に言うと「部下には論理的に丁寧に説明しなさい。
ときどき愛情をかけなさい。しかし言うことを聞かなければクビにしなさい」という意味である。
ところがそんな自分に都合の良い意味ではなく覚悟を必要とする言葉だである。

その良い例をご紹介する。
かつてアメリカのケネディ大統領がインタビューで「最も尊敬する日本人は上杉鷹山」と答えたという。
上杉家は謙信を先祖とし、養子景勝のとき秀吉から会津120万石を封ぜられたが、関ヶ原で石田三成に加担したため家康に米沢30万石に減封させられた。三代目藩主の急死のドタバタで15万石になる。しかし120万石の格式と外形から抜け出せず、15万石というのに家臣の給与は13万3千石もあったという。
農民への度重なる重税が続き領民は疲弊し、江戸・大坂の商人からの借金は莫大となり上杉家は破たん寸前。そのような危急存亡のとき九代となるべく九州日向高鍋藩3万石から養子に入ったのが当時17歳の上杉治憲である。
藩の大改革に乗り出すには一人ではできない。人がいる。そこで最初に藩内でのはみだしものたち、社会悪に怒りを持っていたり相手かまわず直言する人間など骨のある数人を集めその意見を聞きながら改革に着手した。
そのとき治憲がしたことは 
①藩政窮迫の実態を正しく掴むこと 
②その実態を全藩士に伝えること 
③目標を設定することだった。

リーダーには決断力がいるなどというが、その前に正確な事実把握がなくてはならない。
何が起こっているか、何が問題かがわかれば対応策は的確に用意できる。

そしてその次はその情報を全員が共有することと、しかるべき目標の設定である。
治憲は率先垂範の行動に出た。自らの生活費を1500両から200両へ約8分の1にし、祝い行事の延期、衣服はすべて木綿に、食事は一汁一菜、贈答の禁止などの緊縮策を打ち出した。
彼は藩政の目的は「領民を富ませること」でそれを「愛と信頼」で展開するとし、藩の3つの壁を壊す。
①制度の壁 ②物理的壁 ③意識「心」の壁 
そのために藩を変えるとは自分を変えること、生き方を変えることとした。

これらの改革は当時の常識から考えるとあまりに劇的であり、米沢の重臣たちはことごとく反対した。治憲が19歳でもあり小藩からの養子であることで、重臣たちは半分侮り、藩主の言うことを聞かないどころか誤った施策であるとしてその撤回を求めた。
あまりの抵抗の大きさに彼は一時藩主を辞め、九州高鍋に帰ることも考えざるをえないほど追いつめられたが窮状の丁寧な説明と不退転の意志の強さがあったため下級藩士を中心に次第に賛同を得、改革が徐々に動きだしていく。
このとき徹底的に抵抗する7人の重臣に丁寧な説得を繰り返したものの彼らはあくまでも従わなかったため、最後は2名の切腹、残る5名の隠居・閉門の断を下した。
若くて優しいと思われていた治憲のこうしたあなどれない強さに藩士たちは心底驚いた。
いざという時の「背面の恐怖」つまり最後の覚悟はリーダーには必要である。


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