八代目式守伊之助と北上 

  • 投稿日:2023年 4月16日
  • テーマ:その他


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私が北上市内で花見をする好きな場所に、御旅屋公園があります。
ここには「八代式守伊之助碑」と書かれた石碑があります。
式守伊之助とは、大相撲の立行司のことで、
八代目 式守伊之助は安政から明治にかけて活躍した行司で、
本名を後藤文次郎(与太夫)といい黒沢尻出身になります。

天保14年5月14日(1843年)生まれの文次郎は、行司に興味を覚え、
五才のとき伊勢ノ海部屋に入り、その後六代目式守伊之助の弟子になりました。
安政4年正月に式守錦太夫を名乗り、初代の錦太夫となったのです。

明治元年11月には幕内格。同4年3月には三代目の与太夫となり、
三段格に進み、明治の戸籍登録のときは、本名を与太夫と届けています。
同17年5月には立行司として伊之助を襲名し、八代目となりました。

熨斗目(のしめ)麻上下を着用し、草履をはき、烏帽子、素袍(すおう)、
紫紐の軍扇を許された人は十五代木村庄之助についでこの人でありました。

現代では伊之助は庄之助の次と言う常識がありますが、

昔は必ずしもそうではなかったのです。

伊之助襲名時は第3席。では誰が次席だったのか。

それは木村庄三郎で後の15代庄之助。

このときの首席行司は14代庄之助。

伊之助は明治30年12月に亡くなりましたが、

31年1月の番付に主席行事として名前が残っています。

伊之助で庄之助を抜いたのは、6代目伊之助と8代目伊之助

だけとなっています。

 5才で伊勢ノ海部屋に入った経緯については、

調べることができませんでしたが、昔は子どもでも

一旦家を出たら帰ることが出来ないという覚悟があったのでしょう! 

石川シュウジ


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