北上の生んだ豪商 城沢朝吉
- 投稿日:2023年 5月 7日
- テーマ:その他
昨日は、個人的に城沢朝吉と水沢漁網が繋がったことで興奮してしまい、
フライングして通信に書いてしまった。
実は城沢朝吉を知らない北上市民が多いと思うので、
北上史談会の「北上の先人」から紹介します。
文政8年(1825年)黒沢尻川岸に生まれる。
川岸は北上川を往来する「艜(ひらた)舟」で栄えた土地柄であるが、
朝吉は18歳で南部藩御用船の船頭を拝命し、黒沢尻港と石巻港との舟運を司っている。
嘉永5年(1852年)から、石巻の伊勢屋惣左衛門の代理となってからは、
伊勢屋朝吉を名乗り、函館にその商域を広げていった。
海産物や衣類などの商品の外に、水沢から仕入れた鰊(にしん)網を
鰊景気に沸く函館で高額に売りさばき大儲けしている。
仕入れ値の倍で売った記録が残っている。
この時期、開国した日本が函館で外国船との取引を許された証人は、
朝吉を入れて4人だけであることを見ても、朝吉の豪商ぶりが窺えるのである。
記録には、旧藩主南部様へ金千四百五十両余りを貸しており、
時代が替わり明治政府大蔵省が代わりに朝吉に支払ったとされている。
朝吉は綿密な計算と観察力を遺憾なく発揮しているが、
その才覚は商売のみならず、身辺の出来事を克明に
記録していることからも立証されている。
1854(嘉永7)年、日露和親条約調印を目的として来日した
ロシアの軍艦「ディアナ号」を、朝吉は克明に描写。
船の大きさ、大砲の数、船首の紋章が描かれた絵図が
北上市立博物館に収蔵されています。
詳しくは「北上の先人」をご覧ください。
石川シュウジ