北上の生んだ豪商 城沢朝吉と水沢
- 投稿日:2023年 5月 6日
- テーマ:その他
本日雨ということで妻と金ヶ崎のカフェで昼食をとり、
その足で奥州市へ足を伸ばしてみる。
ぶらりと入った奥州市武家住宅資料館、
春の企画展として「水沢のとのさま」が開催されていた。
展示品の中に漁網を見つけ学芸員に聞くと、
昭和のはじめまでは水沢の特産品であったと話します。
「内陸の地である水沢で漁網が特産品?」との疑問を持ち、
詳しく聞いてみる。
この地を治めた水沢伊達氏は家格が高く、家臣も多く抱えていましたが
禄高が奮わないため経済状況は芳しくなく、初代領主宗利の時代に
漁網や筆、煙管の生産が、下級武士を含む城下の民や農民たちに奨励されました。
中でもかつて宮城県岩切・利府周辺を治めていた頃の経験を活かした
手漉き麻製の漁網は、北上川舟運で沿岸まで運ばれ、
北は蝦夷地(北海道)から南は房総半島まで販路があるほど好評を博し、
商人たちの取引が活発になる起爆剤となったと言います。
ここでハタと頭の中でつながったのが、北上の生んだ豪商・城沢朝吉への疑問でした。
「北上の先人」には、朝吉は、水沢から仕入れた鰊(にしん)網を
鰊景気に沸く函館で高額に売りさばき財を成したとある。
朝吉は北上川の河川運送から大海に進出し、函館にその商域を拡大したことが載ってある。
これまで水沢で漁網を取り扱っていることへ疑問を持っていたが、今日ここでその疑問が晴れた。
初代領主が、かつて沿岸に住んでいた経験を活かした麻製の漁網作りであるが、
北上川沿いで麻が取れ原材料が近くにあったことも大きいと学芸員さんは付け加えた。
歴史を学ぶことの面白さは、全く関係のないと思っていた人と人、
場所と場所が繋がった瞬間になる。
疑問が解決した今日はそれだけでも、良い一日だったとご機嫌となる。
水沢漁網の会社は現在1社だけ残っており、野球のバックネットを作っているらしい。
大リーガーの大谷翔平選手も使っただろうかと、勝手に妄想する。
これまた楽しい。 石川シュウジ