二所ノ関部屋開祖と北上のご縁
- 投稿日:2017年 11月25日
- テーマ:その他
なにかと騒がしかった大相撲九州場所も終わりましたね。
岩手県盛岡市出身で東前頭15枚目の錦木は7勝8敗と少し残念な結果に終わりましたが、
来場所の検討を期待するものです。
さて大相撲に二所ノ関部屋がありますが、実は北上市深いご縁があります。
また錦木というしこ名も北上と深いご縁があるのです。
二所ノ関部屋の初代に当たるのが、北上市黒岩(奥州和賀郡)出身の小田島音蔵・初代錦木塚右衛門(1760~1823)です。
盛岡藩お抱えで、文化元年(1804)に江戸相撲の最高位の大関に就きます。
(現在の横綱が最高位になったのは1890年以降になります)
引退後、初代二所ノ関軍右衛門を名乗り多くの弟子を育成しました。
彼の出身地奥州和賀郡は仙台藩と南部藩の藩境にあり、鬼柳関所と相去御番所があわせて二所ノ関と呼ばれていたことに由来します。
化粧まわしは、朱地の毛織物に盛岡藩のお抱えを示す違い菱の印紋があしらわれています。(家紋ではありません)
私の会社は鬼柳町にあり、数百メートル南下すると相去町。
南部藩と仙台藩の境に位置しております。
つまり二所ノ関にあることになりますので、今後は名刺に会社の住所を北上市二所ノ関と入れようかと考えています。
北上市黒岩地区でも二所ノ関軍右衛門の名前を知らない人が多くなったと言います。
ましてそれ以外の地域の北上市民はほとんど知りません。
是非、国技館開催の大相撲場所に北上から二所ノ関部屋を応援団に行きませんか!
現在の親方(元大関・若島津)の病気が早く治ることを祈っております。
(明日は、しこ名錦木について書きます)