人生の傍役(わきやく)

  • 投稿日:2021年 9月 5日
  • テーマ:理念


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今朝からTVの前で、パラリンピックのフルマラソンに釘づけになってしまった。
選手たちの頑張りを観ながら感動の涙を流してしまったが、その中でも気になったのが視覚障害クラスで選手と伴走するガイドランナーたちである。ガイドたちが選手に声を掛ける様子や気配りが画面からでも伝わってくる。ゴール後に抱き合う姿が美しく、感動が押し寄せてきた。

以下に、遠藤周作さんのエッセイを紹介いたします。(日曜日なのでゆっくりとお読みください)

芝居には傍役というものがある。
傍役は言うまでもなく、主役のそばにいて主役のためにいる役である。
その勤めは主役と共に芝居の運行をつくっていくのだが、
また主役を補佐したり、主役をひきたてるためにもある。
「あたり前だ。わかりきったことを言うな」とお叱りにならないでいただきたい。
しかしなぜ私がこんなわかりきったことを書いたかというと、
我々は我々自身の人生ではいつも主役のつもりでいるからだ。
たしかにどんな人だってその人の人生という舞台では主役である。
そして自分の人生に登場する他人はみなそれぞれの場所で自分の人生の傍役のつもりでいる。
だが胸に手をあてて一寸、考えてみると自分の人生では主役の我々も他人の人生では傍役になっている。

(中略)

「あたり前じゃないか。またくだらんことを言うのか」とまたお叱りを受けるかもしれない。
だが人間、悲しいもので、このあたり前のことをつい忘れがちなものだ。
たとえば我々は自分の女房の人生のなかでは、傍役である身分を忘れて、
まるで主役づらをして振舞ってはいないか。

(中略)

夜、眠れぬ時死んだ友人たちの顔を思い出し、俺はあの男の人生で傍役だったんだな、
と考え、いい傍役だったかどうかを考えたりする。
もちろん、女房の人生の傍役としても良かったかどうかをぼんやり思索もしてみる。

遠藤周作「私は傍役」(出典:生き上手 死に上手)

私は今年齢60歳を迎えている。これまでの私の人生のなかで、家族や友人・知人、仕事仲間など、様々な人と出会い分かれてきた。好むと好まざるに関わらず、その出会った人の生き様に大小の痕跡を残し影響を与えていることがあります。その人と関わるということはそういうことだと思うのです。

きっとこれまでの人生の中で、私が意識せずに相手を傷つけてきたことも多くあるでしょう。
もしかして私の一言が勇気となった人がいるのかもしれません。
出来るなら、その人の人生に悪い影響を与えるヒール役になるよりは、サポートする名傍脇になる方が良いですよね!
(あえてヒール役を演じることは必要なことですが、迷惑役はご法度です)

「家族愛を育む家づくりと、敬護サービスでハッピーリタイアメント社会を創る」
これが私たち絆すてーしょんの願いになります。

この仕事を通じて、誰かの人生の名傍脇になること。
それも出来るだけの多くの人に影響を与えること。
それがこれからの私の人生の舞台で主役として輝く一番の近道なのではないのかと。
パラリンピックのガイドランナーが輝く姿を観ながら考えさせられた休日となりました。

良き休日をお過ごしください。
          代表取締役 石川シュウジ


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