KANO 1931海の向こうの甲子園

  • 投稿日:2023年 4月23日
  • テーマ:その他


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甲子園に台湾代表が出場していたことを知っていますか?

今から92年前、その夏の甲子園に台湾から出場して、
決勝まで勝ち進んだチームがありました。
「嘉義(かぎ)農林学校」。
野球部のユニフォームには、略称で「KANO」と記されていた。

当時、台湾は日本の領土であった時代になります。
(「台湾代表」の他には「朝鮮代表」、「満州代表」も出場)
参加部員は、日本人、漢民族系の台湾人、先住民族の混成チームでした。
残念ながら決勝戦で敗れたものの、海を越え、はるばる「内地」と呼ばれた日本に
やって来たチームの活躍に、観衆は大声援を送ったと新聞等で報道されています。

 この実話を映画にしたのが「KANO 1931海の向こうの甲子園」になります。
ストーリーは、1929年嘉義農林学校の弱小野球部に、日本人の監督・近藤兵太郎がやってきます。
甲子園進出を目指すという近藤の下、厳しい練習に励む部員たちは、
次第に勝利への強い思いを抱くようになるのです。
そして31年、台湾予選大会で大躍進し、常勝校を打ち負かして
台湾代表チームとして甲子園へ遠征した嘉農野球部。
彼らの、決してあきらめないプレイスタイルで
日本中の注目を集めるという内容です。

 近藤監督は日本人のみを贔屓することなく、守備に長けた日本人、

打撃に長けた漢人、韋駄天の如く足の速い高砂族の選手たちの特徴を活かし、

バランスの良いチームを作り上げていく過程が面白いですね。

今話題の多様(ダイバーシティ)を先取りした監督だったといえます。

高校野球好きには、堪らなく面白い映画になっています。

この映画からは、当時の台湾の世相や暮らしが見えてきます。

丁度、東洋一の烏山頭ダムを建設している時代と重なり、

八田與一技師も映画に登場してきます。

 このDVDは会社にありますので、是非ご覧になってください。

私は、台湾新幹線に乗って嘉義市に行きたくなります。 

 石川シュウジ


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