エンドロールに名を刻む
- 投稿日:2023年 6月16日
- テーマ:その他
本日午前中に現場の下見をしながら、現場近くに知り合いの老夫婦が
住んでいることを思い出し、立ち寄ってみた。
特に用事があった訳ではなく、何となく気になったというだけ。
80代のご夫妻であるが、チャイムを鳴らすと奥様のY様が出てきて、しばらく立ち話。
コロナ禍では、なかなかお会いすることもできずにしばらくぶりに話が弾む。
健康の話しから始まり、2人の孫へとY様に話を振ってみる。
この春から2人とも県外に就職と進学ということで、会えなくなったことを寂しそうに話すY様。
しかしどうも様子がおかしい?
次第に息子と嫁の話となり、少しずつ不満を話すようになります。
嫁と姑の不仲はどこにでもある話であり、同居していない状況なので、
相槌を打ちながら適当に聞き流す私。しかし聞き流せない言葉がでます。
「息子が心配。私は運が悪い。皆上手くいかない・・・」
思わず胸が締め付けられます。私の亡くなった母の言葉が思い出されます。
「どうして私が病気にならなければならないの・・・」
「心配するな」と言っても心配するのが親なので、それは仕方がないことなのです。
しかし人生の終末において、「私は運が悪かった!」と言われるのは、子どもとして辛いことです。
「私の人生はつまらないものだった!」と言われているのと同じことだからです。
人生にはどうすることもできないこともあります。
しかし「あなたに会えて幸せだった!」という一コマはどんな映画にもあるはずです。
コンパスウォークは、人生のエンディングにおいて、
主人公が気持ちよく演じ切ることができるよう舞台を整える仕事なのです。
映画のエンドロールに、コンパスウォークの名前が、小さく刻まれたら嬉しいですね。
石川シュウジ