錦木関と北上市の関係
- 投稿日:2023年 7月13日
- テーマ:その他
大相撲7月場所ですが、目が離せなくなっていますね。
岩手県盛岡市出身で東前頭筆頭の錦木は初日から、
横綱や、大関取りの3関脇を総なめする無傷の5連勝。
来場所は、三役入りも現実的なものと岩手県民は盛り上がっています。
錦木という四股名は盛岡藩お抱え力士が代々名乗った名前になりますが、
最初に錦木を名乗ったのは、二所ノ関部屋の開祖である大関二所ノ関軍右衛門(1760~1823)になります。
この初代は、北上市黒岩(奥州和賀郡)出身の小田島音蔵と言います。
四股名を錦木塚右衛門として文化元年(1804)に江戸相撲の最高位の大関に就きます。
年二場所、一開催 10~13 日の当時、体重 109Kg の錦木は、幕内を 24 場所務め 60 勝しています。
引退後、初代二所ノ関軍右衛門を名のり多くの弟子を育成しました。
なかでも、甥の小田島音吉(1790~1832)四賀峯音吉は、八戸藩お抱えの大関を 10 場所務めています。
写真の化粧まわしには、盛岡藩のお抱えを示す違い菱の印紋があしらわれています。
・錦木塚右エ門 (初代) 伊勢ノ海部屋 大関
・錦木塚五郎(初代) 二所ノ関部屋 小結
・錦木繁之助(錦木盤之助)雷部屋 関脇
*埼玉県出身だが盛岡藩お抱えになり改名
・錦木塚五郎(2代)二所ノ関部屋 小結
・錦木塚右エ門(2代)二所ノ関部屋 前頭筆頭
・錦木繁之助 竹縄部屋 十両筆頭
*香川県出身だが盛岡藩お抱えになり改名
・錦木徹也 伊勢ノ海部屋 東前頭筆頭
錦木関の活躍は本人の地道な努力のおかげなのですが、
きっと四股名の由来を意識しての精進だと考えます。
頑張れ!錦木関!
石川シュウジ