錦木塚伝説
- 投稿日:2023年 7月14日
- テーマ:その他
歴代盛岡藩お抱えの力士が錦木という四股名を名乗った由来について書いてみます。
由来となった錦木塚は、今の秋田県鹿角市(旧盛岡藩領内)にある塚で、
男女の悲恋の物語が多くの歌人に筆を取らせた歌枕で著名な地になります。
そこで錦木の下の名前も塚右衛門とか塚五郎と塚が多いのです。
「錦木塚の伝説」
千数百年前、鹿角が狭布(きょう)の里と呼ばれていた頃、
大海(おおみ)という人に政子姫という大変美しい娘がいました。
東に2里ほど離れた大湯草木集落に錦木を売り買いしている
黒沢万寿(まんじゅ)という若者がいて、娘の姿に心を動かされました。
当時、男は女を妻にしたいと思うと、その女の家の前に錦木をたて、
それを女が家の中に取り入れると嫁いでもいいという習わしがありました。
そこで、若者は錦木を恋した政子の家の前に立てます。
若者は、雨の日も、大嵐の日も、吹雪の日も毎日立て続けます。
政子はそんな様子を見て若者に好意を抱くようになりましたが、
父、大海が身分の違いを理由に反対された為、
錦木は家の中に取り入れられることはありませんでした。
そのことを知らない若者は、あと一日で錦木が千束になるという日、
政子の家の前で降り積もる雪の中、帰らぬ人となってしまったのです。
それを知った政子も嘆き悲しみ、若者のあとを追いこの世を去ります。
事情を知った大海は二人の悲恋を哀れに思い、若者の亡骸を貰い受け、
千束の錦木とともに夫婦として一緒の墓に葬ったのでした。
その墓が「錦木塚」と呼ばれて今に伝えられているのです。
悲しい伝説ですが、広く世に広まった経緯については明日お伝えします。
現在の大相撲の錦木関が、愚直に稽古する姿には、
錦木塚伝説に通じるものがありそうですね!
石川シュウジ