「敬老の日」と「老人の日」
- 投稿日:2023年 9月15日
- テーマ:その他
今日の9月15日は「老人の日」とされています。「敬老の日」はハッピーマンデー制度が始まったことで9月15日から9月の第3月曜日に変更になりました。今年は9月18日になります。昭和生まれの私は、「敬老の日」の日にちが変わったことに違和感があります。
9月15日が「老人の日」になった理由を調べてみると、やはり日付を変更することに反対の声があがったからです。そこで新たに老人福祉法によって定められました。
「敬老の日」がお祝いであるのに対して、「老人の日」は「老人福祉への理解や関心を高めること」を呼びかける狙いのようです。
ところで「初老」とは、いったい何歳ぐらいの人のことを指すのでしょうか。かつては、40歳ぐらいの人のことを指していましが、寿命が長くなった現代では、「初老」が当てはまるのは60歳ぐらいからと考える人が多くなっているようですね。
つまり私は「初老」の仲間入りであり、広く捉えると「老人」の範疇に入る訳です。
これまで他人ごとと捉えていた「老人の日」ですが、自分ごとと捉えるとどうも違和感を覚えます。何よりもネーミングが悪すぎて、関心を持つよりも毛嫌いが先に立ってしまいます。
自分も初老となって感じることは、高齢者には配慮は必要ですが、年寄り扱いはされたくないものです。だからこそネーミングに違和感を覚えます。
今回は「老人」という言葉に、自分の自尊心が過剰に反応しただけのようですね。
まだまだ未熟な初老の私です(笑)!
石川シュウジ
定年退職「男は終着、女は始発」
- 投稿日:2023年 9月14日
- テーマ:その他
そろそろ定年が近づいてきたと考えた夫が、実家のある岩手の山々を指し、目を輝かせて宣言する。「ほら!退職したら2人でハイキングや釣り、スキーが楽しめるよ」。満足げな夫の表情は、しかし長くは続かない。40年以上連れ添った妻は「そんなこと、いつ決めたの?」と厳しく追及する。「私が都会を離れて、あなたの趣味にずっと付き合っていられると思うなら、あなたはどうかしている」
マサチューセッツ工科大学が行った研究では、定年退職後の人生を表現するのにどんな言葉を使うかを調査したところ、男女間で決定的な違いがあることがわかった。中高年や定年世代の男性は「休息」「リラックス」「趣味」など、退職後の生活設計パンフレットに載っていそうな言葉を使う人が圧倒的に多かった。一方、同年代の女性は「自由」「平和」「自分のための時間」などの表現で退職後の人生について語っていた。
男性が定年退職を「やっとパートナーと過ごせる機会」と考えがちなのに対し、女性は生活習慣が確立され、友人たちとのつながりの中で不可欠な人間関係、経験の共有、笑顔に満ちた日々を送っている傾向がある。
つまり定年退職は、男にとっては終着駅であり、女にとっては始発駅なのである。
近年増加している定年離婚や熟年離婚。還暦を過ぎた私の同級生を見回しても、どうも女性の方が元気で、男性の分が悪い。
せめて男性陣よ、粗大ゴミと言われないように家から出て働きましょう!
石川シュウジ
父の43回忌「晴天の霹靂」
- 投稿日:2023年 9月13日
- テーマ:その他
昭和56年9月13日(日)夕方、大学生だった私がアパートに帰ってみると入口に張り紙があった。
「至急、実家に電話をするように!」
9月末に、大学の前期試験があるのだが、ほとんど授業に出ていない私は、受講ノートを写すために日曜日の午後、友人のアパートに行っていた。
昼過ぎに4~5㎞離れた友人のアパートに自転車で向かったが、半分ほど過ぎたら突然自転車のスポークが折れるアクシデント。「今日はついてないなあ~!」と思いながらも引き返す訳にもいかず、自転車を押して友人のアパートまで行き、帰りも自転車を押して戻ることになった。帰宅した時はすっかり暗くなっていた。(後から振り返ると、父からのサインだったと考えている)
実家に電話すると、珍しく叔父が電話に出たので不思議に思いながらも、母に替わってもらう。「お父さんが亡くなったの・・・」 その後はどうやってお金を工面したのだろうか、福島駅から特急「やまびこ」に乗ったことは覚えているが・・・
「やまびこ」に乗りひと息つくと、感情がこみ上げ泣けてくる。他人に泣き顔を見せないように窓の外を眺めるが、涙が止まらない。悲しいというより将来が不安だった。
実家に帰ると、祭壇が飾られ父が横たわっていた。横には母の憔悴した顔、妹と弟の不安そうな顔。それを見ながら長男として何をすべきかを考えるが、社会のことはほぼ知らない二十歳の私。
結局は、当時44歳の母と親類が全てを取り仕切ってくれた。
喪主挨拶は私が務め、「青天の霹靂(へきれき)」という言葉を初めて使ったことを鮮明に覚えている。
あれから43年が経つが、人生は「青天の霹靂」の連続、だからこそ面白いと今は思う。
石川シュウジ