日本四大杜氏
- 投稿日:2024年 1月23日
- テーマ:住まい
(岩手県酒造組合・岩手県酒造協同組合のHPより)
南部杜氏の歴史は古く、1678年頃、現在の紫波町志和で酒造りを始めた近江商人の村井権兵衛が、大阪から杜氏を招いたのがきっかけだといわれています。それまで醪(もろみ)のままろ過しない、いわゆる「どぶろく」だけだった酒造りに、池田流の「すみ酒」の醸造技術を持ち込んだのである。
その後、近隣の農家が副業として二、三石程度の酒造りを請け負う「引酒屋」にその技術が広まり、代々受け継がれていきました。
千歯扱の登場によって脱穀作業が軽減されると、農家は冬の農作業から解放されました。同時に、千歯扱の導入で冬場の収入源を失った小規模農家が必要に迫られ、造り酒屋に出稼ぎを始めました。それが南部杜氏の始まりだったと云われています。
南部杜氏は大阪池田流の流れをくむことになります。しかし、京都で造り酒屋をはじめた村井権兵衛の分家・権右衛門は、奉公人を京都の本店で就業させてから南部に下向させたといわれ、酒造りが盛んな京都伏見の影響を受けていたことも考えられます。
いずれにしても時代とともに独自の工夫が加えられ、南部流の酒造りが完成されていったのだろうと思われます。
日本三大杜氏と呼ばれるのは「南部杜氏」「越後杜氏」「丹波杜氏」の3つの集団です。これに能登杜氏を加えて四大杜氏と呼ぶこともあります。能登杜氏とは、石川県能登半島の先端付近、珠洲市や能登町を発祥地とする集団です。
しかし地震により奥能登の酒蔵11社、全てが被災。今年分のお酒は全てダメになったようです。
しばらくは奥能登の酒蔵のお酒を飲んで応援したいと思います。
石川シュウジ