母の思い出

  • 投稿日:2023年 5月14日
  • テーマ:その他

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今日は「母の日」ですね。母が亡くなって12年、今年は13回忌になりますね。
新型コロナ感染症も5類になりましたので、久々に兄弟が集まる法要を
長男として企画しないといけませんね。

 先日NHKの「美の壺」は再放送でしたが「黒の風格 羊羹(ようかん)」でした。
この番組をみながら、思わず垂涎を抑えられなくなる私。あんこ好きの私にとって、
羊羹ももちろん好物になります。

 ところでなぜ私があんこ好きになったのか、それは母の影響が大です。
母は小豆だけではなく、黒豆、金時豆、白花豆などの煮豆が大好物でよく作っていました。
特に冬は店のストーブの上には、鍋が掛けてあり常に食卓には、甘い煮豆があったものです。
祖母は餅が好きで、あんこ餅、ゴマ餅、くるみ餅とお客様が来れば臼で餅をついてもてなす人でした。
母の得意は、大福餅で一度に30~40個も作るのですが、とても美味しいので7人家族では
翌日の朝にはなくなるものでした。彼岸には、ぼたもち、おはぎを必ず作ります。
前日からあれこれと準備している姿が今も目に浮かびます。

つまり我が家では、習慣的にあんこ食べるので幼少期から味覚が刷り込まれています。
私だけではなく、妹や弟たちも、もれなく大好物となっております。

あんこ好きには「こしあん派」と「つぶあん派」がありますが、
我が家は「つぶあん」だったので、いまでも「つぶあん派」の一家です。
御菓子屋さんに聞くと、「こしあん」は手間がかかり上品な味とのことですが、
皮をこして捨ててしまうなんて勿体ないと私は思ってしまいます。

日本酒も吟醸酒よりも純米酒が好きです。人間が粗雑なので、
純度の高いものよりも雑味がある方が美味しいと感じるほうです。
人間も同じで、野趣に富んだ人が好きですね。

 

母の思い出から、自分の好みがもしかして「あんこ」がベースに
なっているかもしれないと、話が飛躍しすぎですね。

これも母からのプレゼントだと感謝します! 合掌

母の日に 石川シュウジ



北上の生んだ豪商 城沢朝吉

  • 投稿日:2023年 5月 7日
  • テーマ:その他

 昨日は、個人的に城沢朝吉と水沢漁網が繋がったことで興奮してしまい、
フライングして通信に書いてしまった。
実は城沢朝吉を知らない北上市民が多いと思うので、
北上史談会の「北上の先人」から紹介します。

 文政8年(1825年)黒沢尻川岸に生まれる。
川岸は北上川を往来する「艜(ひらた)舟」で栄えた土地柄であるが、
朝吉は18歳で南部藩御用船の船頭を拝命し、黒沢尻港と石巻港との舟運を司っている。

 嘉永5年(1852年)から、石巻の伊勢屋惣左衛門の代理となってからは、
伊勢屋朝吉を名乗り、函館にその商域を広げていった。
海産物や衣類などの商品の外に、水沢から仕入れた鰊(にしん)網を
鰊景気に沸く函館で高額に売りさばき大儲けしている。
仕入れ値の倍で売った記録が残っている。

 この時期、開国した日本が函館で外国船との取引を許された証人は、
朝吉を入れて4人だけであることを見ても、朝吉の豪商ぶりが窺えるのである。
記録には、旧藩主南部様へ金千四百五十両余りを貸しており、
時代が替わり明治政府大蔵省が代わりに朝吉に支払ったとされている。

 朝吉は綿密な計算と観察力を遺憾なく発揮しているが、
その才覚は商売のみならず、身辺の出来事を克明に
記録していることからも立証されている。
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 1854(嘉永7)年、日露和親条約調印を目的として来日した

ロシアの軍艦「ディアナ号」を、朝吉は克明に描写。
船の大きさ、大砲の数、船首の紋章が描かれた絵図が
北上市立博物館に収蔵されています。

 詳しくは「北上の先人」をご覧ください。

石川シュウジ

   



北上の生んだ豪商 城沢朝吉と水沢

  • 投稿日:2023年 5月 6日
  • テーマ:その他

本日雨ということで妻と金ヶ崎のカフェで昼食をとり、
その足で奥州市へ足を伸ばしてみる。
ぶらりと入った奥州市武家住宅資料館、
春の企画展として「水沢のとのさま」が開催されていた。
展示品の中に漁網を見つけ学芸員に聞くと、
昭和のはじめまでは水沢の特産品であったと話します。
「内陸の地である水沢で漁網が特産品?」との疑問を持ち、
詳しく聞いてみる。

 この地を治めた水沢伊達氏は家格が高く、家臣も多く抱えていましたが
禄高が奮わないため経済状況は芳しくなく、初代領主宗利の時代に
漁網や筆、煙管の生産が、下級武士を含む城下の民や農民たちに奨励されました。
中でもかつて宮城県岩切・利府周辺を治めていた頃の経験を活かした
手漉き麻製の漁網は、北上川舟運で沿岸まで運ばれ、
北は蝦夷地(北海道)から南は房総半島まで販路があるほど好評を博し、
商人たちの取引が活発になる起爆剤となったと言います。

 ここでハタと頭の中でつながったのが、北上の生んだ豪商・城沢朝吉への疑問でした。
「北上の先人」には、朝吉は、水沢から仕入れた鰊(にしん)網を
鰊景気に沸く函館で高額に売りさばき財を成したとある。
朝吉は北上川の河川運送から大海に進出し、函館にその商域を拡大したことが載ってある。
これまで水沢で漁網を取り扱っていることへ疑問を持っていたが、今日ここでその疑問が晴れた。

 初代領主が、かつて沿岸に住んでいた経験を活かした麻製の漁網作りであるが、
北上川沿いで麻が取れ原材料が近くにあったことも大きいと学芸員さんは付け加えた。

歴史を学ぶことの面白さは、全く関係のないと思っていた人と人、

場所と場所が繋がった瞬間になる。

疑問が解決した今日はそれだけでも、良い一日だったとご機嫌となる。

 水沢漁網の会社は現在1社だけ残っており、野球のバックネットを作っているらしい。

大リーガーの大谷翔平選手も使っただろうかと、勝手に妄想する。

これまた楽しい。 石川シュウジ

   



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