母ちゃんを通わせたい施設3
- 投稿日:2022年 2月 7日
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少し母の思い出を書きたいと思います。
母の香は昭和12年生まれで、生まれつき身体は丈夫でした。
花巻の笹間から和賀町藤根の石川家に嫁いでから、
私を筆頭に4人の子どもを生みますが、
家業の金物店を切り盛りしながら子育てをします。
母が44歳の時、石川硝子店の創業者である父與志久が急逝。享年51歳でした。
当時私は大学1年、浪人して入ったばかりで社会のことなど全く知らないボンボン。
「大学を辞めて父の跡を継ぐ方がよい。」という周囲の声に、反対したのは母一人でした。
そんな母の一声で大学生活を続けるものの、
親の苦労を知らない私は毎日部活のソフトボールと、パチンコに明け暮れます。
結局単位が足りなく一年留年しての卒業となり、
浪人と合わせて6年もの時間とお金を親に負担させてしまいます。
どうしようもないぐうたらな大学時代でした。
結局行くところもないので私は家業を継ぐことになるのですが、
苦労してきた母の喜びようは予想を超えるものでした。
どんなにか待ちわびていたのか、バカ息子は知る由もありません。
(その後はバッサリ省略)私の記憶には休んでいる母の姿はありません。
病気らしい病気もしたことがなく、年齢の割には若々しい自慢の母でした。
しかし65歳を過ぎたあたりからよく転ぶようになっていきます。
徐々に姿勢が前かがみになっていくので、整体に通い補整しますが、
暫くするとまた元にもどります。
そんな中これまで病院にかかったことのない母が整形外科に行くと、
脊柱管狭窄症で手術した方が良いと診断されます。
その後数年間は手術したくないと頑張りますが、
次第に介護が必要となり2階に上がれなくなっていきます。
実は我が家は1階が店舗(50坪)、2階が住居(50坪)の鉄骨造りでしたので、
母は1階の事務所兼ダイニングキッチンにベッドを置いて暮らすようになっていきます。
お風呂は2階にあり、自宅では入ることができません。
基本的に商売を優先している造りなので、
トイレには段差があり靴を履きかえないといけません。
続く・・・
石川シュウジ
































