頼まれごとは、試されごと

  • 投稿日:2022年 8月27日
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8月24日、友人の葬儀で弔辞を捧げてきた。
祭壇を前に手を合わせた瞬間に、
こみ上げるものがありしばし声が出なかった。
これまでも何度かの経験はあるが、
弔辞は回数を重ねても慣れるものでもない。

 これまでの私の人生を振り返ってみると、
冠婚葬祭を仕事にした方が良かったかもしれないと思う時がある。

喪主は3回(父、祖母、母)。法事の施主は3回。弔辞は8回。
披露宴の友人代表5回。結婚式の実行委員長1回。
仲人1回(私が結婚する前、本家だからという理由で務めた)。
披露宴の両家代表挨拶2回(二人の弟の披露宴で)。

 どうしてこんなにもお役目が回ってくるのだろうか?

これまで大変だとか、嫌だと思ったことはない。
(いや一度だけある。従姉の結納の前の晩に突然伯父から
「仲人をやれ!」言われ、当日の朝に書店から"仲人の心得"を買い、
虎の巻を見ながら進行した時である。)
父を早くに亡くして、長男の務めだと思ってやってきただけである。

 中村文昭さんの言葉に、「頼まれごとは、試されごと」がある。
確かに、頼まれたことをお役目と思ってやってみると、
最初は分からないことが多い。
しかし2度目となると、前回の反省が生きてくる。
今度はこうやってみたいと頭に浮かぶもの。

 全ての経験が人生の肥やしではあるが、
弔辞だけはもう勘弁して欲しいと思う。

  石川シュウジ


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