父の43回忌「晴天の霹靂」
- 投稿日:2023年 9月13日
- テーマ:その他

昭和56年9月13日(日)夕方、大学生だった私がアパートに帰ってみると入口に張り紙があった。
「至急、実家に電話をするように!」
9月末に、大学の前期試験があるのだが、ほとんど授業に出ていない私は、受講ノートを写すために日曜日の午後、友人のアパートに行っていた。
昼過ぎに4~5㎞離れた友人のアパートに自転車で向かったが、半分ほど過ぎたら突然自転車のスポークが折れるアクシデント。「今日はついてないなあ~!」と思いながらも引き返す訳にもいかず、自転車を押して友人のアパートまで行き、帰りも自転車を押して戻ることになった。帰宅した時はすっかり暗くなっていた。(後から振り返ると、父からのサインだったと考えている)
実家に電話すると、珍しく叔父が電話に出たので不思議に思いながらも、母に替わってもらう。「お父さんが亡くなったの・・・」 その後はどうやってお金を工面したのだろうか、福島駅から特急「やまびこ」に乗ったことは覚えているが・・・
「やまびこ」に乗りひと息つくと、感情がこみ上げ泣けてくる。他人に泣き顔を見せないように窓の外を眺めるが、涙が止まらない。悲しいというより将来が不安だった。
実家に帰ると、祭壇が飾られ父が横たわっていた。横には母の憔悴した顔、妹と弟の不安そうな顔。それを見ながら長男として何をすべきかを考えるが、社会のことはほぼ知らない二十歳の私。
結局は、当時44歳の母と親類が全てを取り仕切ってくれた。
喪主挨拶は私が務め、「青天の霹靂(へきれき)」という言葉を初めて使ったことを鮮明に覚えている。
あれから43年が経つが、人生は「青天の霹靂」の連続、だからこそ面白いと今は思う。
石川シュウジ