仏教の教え・・・和顔施(わがんせ)
- 投稿日:2022年 9月28日
- テーマ:その他
仏教では、布施を施すことを最も大切な修行として捉えています。
財産や地位がなければ布施ができない訳ではありません。
誰もが容易にできる布施が「無財の七施」です。
一、眼施 優しい目つきですべてに接すること
二、和顔施 おだやかな顔つきをもって人に対すること
三、愛語施 ものやさしい言葉を使うこと
四、身施 自分の体で奉仕すること
五、心施 他人の痛みを自分の痛みとして感じること
六、壮座施 座席を譲ること
七、房舎施 相手に雨のかからないようにしてやること
二つ目の和顔施ですが、最近の脳科学の研究からも、
表情が人に与える影響が分かってきました。
笑顔で接するときと、無表情で接するときの相手の脳の働きは違ってくるそうです。
これがコミュニケーションに影響を与えます。
笑顔の時には豊かなコミュニケーションに発展し、
そうでないときには相手はうまく喋れなくなるようです。
自分の表情は意外と気づかないものです。
特に上に立つ者は、表情ひとつだけでも相手に
大きな影響力を持つことを意識しないといけませんね。
鏡を見て笑顔の練習をしますね!
石川シュウジ
神社はお願いするところではない!?
- 投稿日:2022年 9月27日
- テーマ:その他
昨日は、托鉢の意味を改めて考える通信となりましたね。
貧乏な人にこそ、他人に与える喜びを感じてもらうが本来の意味のようです。
さて私たちは普段、知らずに逆の意味のことをやってことがあります。
神社ではお守りが売られています。私も新年には新しいものと交換しています。
お守りにすがり、頼る人が守られるのではないようです。
ついつい苦しい時の神頼みを、私もしてしまいます。
「神様お願いです!助けてください!」
神社というと私たちは
「神様に自分の願いを叶えてもらうためにお祈りするところ」
という認識を持っているのではないでしょうか。
実は逆でこのお守りを、大切にしようと思う人が守られるようです。
神社は神様の居られる神聖な場所になります。
ここで行う祈りとは神様への感謝を伝える場であり、
また神様の前で自分自身と向き合う場となっているようです。
神社ではこう祈るようです。(私の勝手な解釈です)
「いつも見守っていただきありがとうございます。
私の身体を使って、神様のお手伝いができますように。
世の中のために、私の行動をここに宣言いたします。」
神様や他人任せのお願いは、果たして叶うものでしょうか?
周囲の為に、自分のできることを日々少しずつ続ける。
例えば笑顔で暮らすことは、それだけで周囲を明るくするものです。
石川シュウジ
貧しいものこそ施す
- 投稿日:2022年 9月26日
- テーマ:その他

仏教のなかには,「托鉢」という行がありますよね。
笠をかぶったお坊さんが、手に鉢をもって家々を回りお布施を頂くという行です。
ここ北上市内では、なかなかお目にかかることが少ない光景かも知れません。
お釈迦さまは、托鉢に向かう弟子たちに、こう言いました。
「お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って托鉢をしてきなさい。」
弟子たちは、大変いぶかしがり
「お布施をいただくのですから、お金持ちのところに行くのが常識ですよね?」と尋ねます。
しかし、お釈迦さまの思いは別のところにありました。
貧しい人がなぜ貧しいのか?
それは、自分のためにしかお金を使わないからであり、
その人たちに与える喜びを味わってもらう機会を与えることが、
托鉢の真の目的だったのです。
自分だけのことを考えて使うのか?
周りのことを考えて使うのか?
これはお金に限ったものではありません。
余った小銭を募金や寄付するのも同じ意味になりますね。
石川シュウジ
































