大相撲・錦木塚右エ門 (初代)1
- 投稿日:2018年 11月30日
- テーマ:その他
錦木というしこ名は盛岡藩お抱え力士が代々名乗った名前である。
ところで最初に錦木を名乗ったのは、二所ノ関部屋の開祖である
大関二所ノ関軍右衛門(1760~1823)になります。
この初代は北上市黒岩の出身で名を小田島音蔵と言います。
四股名を錦木塚右衛門として文化元年(1804)に江戸相撲の最高位の大関に就きます。
年二場所、一開催10~13日の当時、体重109Kgの錦木は、幕内を24場所務め60勝しています。
引退後、初代二所ノ関軍右衛門を名のり多くの弟子を育成しました。
なかでも、甥の小田島音吉(1790~1832)四賀峯音吉は、八戸藩お抱えの大関を10場所務めています。
写真の化粧まわしには、盛岡藩のお抱えを示す違い菱の印紋があしらわれています。
明日は、北上市出身の小田島音蔵について書きます。
つづく・・・