大相撲・錦木塚右エ門 (初代)2

  • 投稿日:2018年 12月 1日
  • テーマ:その他


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北上史談会「北上の先人」によると、1761年に和賀郡黒岩村万内(北上市黒岩)に一人の怪童が誕生したある。
成長とともにその怪力ぶりが南部公の認めるところとなりそのお抱え力士となった。
23歳の時に江戸に出、三代伊勢ノ海村右衛門部屋から滝の上音蔵(喜蔵とも)の四股名で西幕下尻に張りだされた。この滝の上については史談会では触れていないが、私が思うに故郷黒岩にある「お滝さん」に由来しているように思う。
さて5年後に錦木塚右衛門と改名し、45歳で当時の番付最高位の大関になった。
しかし相撲の世界は厳しくその後体調を崩し相撲を休むことが多く、二所ノ関軍右衛門を名乗り、改めて二所ノ関初代年寄りとなり弟子育成に当たることになる。
その後部屋は繁栄に繁栄を重ねて、現在の二所ノ関・佐渡が嶽・二子山・放駒・尾車・鳴門・・・
など、多くの横綱を張った力士を育てた。
部屋の繁栄とは逆に、同力士は社交が下手だったために、晩年は不遇で郷里黒岩に帰りさびしく終わったという話が伝わている。
昭和17年(1942)9月17日、初代二所ノ関の供養相撲が黒沢尻(北上市)で行われた前日、大関・玉の海、関脇・佐田の花、神風の当時相撲界の名力士3人が正洞寺を訪れ、ねんごろに初代二所ノ関を排し帰られたのであった。



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