八代目式守伊之助と北上

  • 投稿日:2020年 4月17日
  • テーマ:その他


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「緊急事態宣言」が全国に拡大されましたね。
一刻も早い終息を願わずにはいられません。
各県をまたいでの移動は厳しく制限されますね。
そんな中でも桜は例年通り美しい花を見せてくれます。
遠くの名所ではなくても、地元に目を向けると良い場所があります。
本日紹介するのは、御旅屋公園の桜と石碑です。
この石碑には「八代式守伊之助碑」とあります。
式守伊之助とは、大相撲の立行司の名前です。
八代目 式守伊之助は安政から明治にかけて活躍した行司。
少し調べてみましたので、桜と一緒に楽しんでください。

北上市黒沢尻町出身の
後藤文次郎という人になります。
彼は、行司に興味を覚え、五才のとき伊勢ノ海部屋に入ります。
それから六代目式守伊之助の弟子になりました。
安政4年正月に式守錦太夫を名乗り、初代の錦太夫となったのです。
明治元年11月には幕内格。同4年3月には三代目の与太夫となり、
三段格に進み、明治の戸籍登録のときは、本名を与太夫と届けています。
同17年5月には立行司として伊之助を襲名し、八代目となりました。
熨斗目(のしめ)麻上下を着用し、草履をはき、烏帽子、素袍(すおう)、
紫紐の軍扇を許された人は十五代木村庄之助についでこの人でありました。
引退後は年寄りとなり、三代目永浜鬼一郎となりました。

本名 後藤文次郎(与太夫)
天保14年5月14日(1843年)生まれ
岩手県北上市黒沢尻出身
初番付 安政3年11月(1856年)
明治30年12月18日(1897年)没
6代伊之助の弟子、後の20代庄之助の養父。
すなわち28代木村庄之助(後藤悟庄之助)のおじいさんにあたる。
このように28代庄之助が出羽海部屋にもかかわらず式守で錦太夫を継いでいるのは、初代の錦太夫と関係があります。


初めて番付に錦太夫がお目見えしたのは安政3年。
13歳で錦太夫として登場しており前名はなし。
与太夫を継いだのは明治4年3月。明治17年5月8代伊之助に昇進。

伊之助は庄之助の次と言う常識があるが、昔は必ずしもそうではなかった。
伊之助襲名時は第3席。では誰が次席だったのか。
それは木村庄三郎で後の15代庄之助。このときの首席行司は14代庄之助。

明治30年12月に亡くなったが31年1月の番付に名前が残っている。
しかも首席行司として。伊之助で庄之助を抜いたのはこの人と6代目伊之助だけ。

享年54歳。岩手県北上市出身、本名後藤文次郎。天保14年5月14日生まれ。
所属は伊勢ノ海部屋(式守というのは元々伊勢ノ海の行司名)年寄永浜兼務。
永浜と言うのは幾人かの伊之助が兼務した年寄名。
永浜という年寄名は今はない。


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