ヴェルグルの奇跡

  • 投稿日:2021年 2月22日
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かつてゲゼルの自由貨幣理論を導入して大成功を収めた町がありました。
オーストリア・チロル地方の小さな田舎町、ヴェルグルです。

世界大恐慌の影響は、このヨーロッパの小さな田舎町にも波及していました。
当時の人口わずか4300人のこの街には500人の失業者と1000人の失業予備軍がいました。
通貨が貯め込まれ、循環が滞っていることが不景気の最大の問題だと考えた当時の町長
ミヒャエル・ウンターグッゲンベルガーは、自由貨幣の発行を実践してみることを決意し、
1932年7月の町議会でスタンプ通貨の発行を決議しました。

不況の影響により、通貨の貯蓄性が過剰なまでに人々に働きかけた結果、
お金が循環しにくい経済状況が生じてしまったということですね。
それを重く見た町長は、貯蓄性を無効化するゲゼルの通貨理論に
一縷の希望を見出したという訳です。

そこで、ウンターグッゲンベルガー町長自身が地域の貯蓄銀行から
32000オーストリア・シリングを借り入れ、それをそのまま預金として預け、
それを担保として32000オーストリア・シリングに相当する
「労働証明書」という地域通貨を発行しました。
そして、町が道路整備などの緊急失業者対策事業を起こし、
失業者に職を与え、その労働の対価として「労働証明書」を与えました。

ここで注目していただきたいのは、発行されたお金は銀行からの借金ではなく、
銀行から借り入れた32000シリングを担保として発行した「公債」であるという点です。
この点の重要性ついては後述します。

労働証明書は月初めにその額面の1%のスタンプ(印紙)を
貼らないと使えない仕組みになっていました。
つまり、言い換えれば毎月その額面の価値の1%を失うことになるのです。
たがって手元にずっと持っていてもその分だけ損するため、
誰もができるだけ早くこのお金を使おうとしました(貯蓄性の無効化)。

この「老化するお金」が消費を促進することになり、経済を活性化させたのです。

当初発行した32000シリングに相当する「労働証明書」は、次第に必要以上に多いことがわかり、
町に税金として戻ってきた時に、そのうちの3分の1だけが再発行されることになりました。
「労働証明書」が流通していた13.5ヵ月の間に流通していた量は平均5490シリング相当に過ぎず、
住民一人あたりでは、1.3シリング相当に過ぎません。

しかしながら、この「労働証明書」は
週平均8回も所有者を変えており、13.5ヵ月の間に平均464回循環し、
254万7360シリングに相当する経済活動がおこなわれました。
これは通常のオーストリア・シリングに比べて、およそ14倍の流通速度です。
回転することで、お金は何倍もの経済効果を生み出すのです。


こうしてヴェルグルはオーストリア初の完全雇用を達成した町になりました。
「労働証明書」は公務員の給与や銀行の支払いにも使われ、町中が整備され、上下水道も完備され、
ほとんどの家が修繕され、町を取り巻く森も植樹され、税金もすみやかに支払われたのです。

しかしながら、銀行が創造するお金のような「プラスの利子」は発生せず、
無限の経済成長と、弱肉強食の経済競争を強制する性質はありません。
また、減価するため、お金を大量に保有することによる「支配力特権」も存在せず、
本当にお金が必要な層にも、消費するのに十分なお金が供給されたのです。このように、
積極的に流通する性質に特化したお金は、経済的悪状況・不平等を取り除く効果があります。

ちなみに、ヴェルグルの成功を目の当たりにして多くの都市はこの制度を取り入れようとしました。
1933年6月までに200以上の都市で導入が検討されましたが、オーストリアの中央銀行によって
「国家の通貨システムを乱す」として禁止通達を出され、1933年11月に廃止に追い込まれました。

引用:地域通貨の可能性を探る(3:ヴェルグルの奇跡): 経済問題研究所 ~508号調査室~

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