父の命日に思う
- 投稿日:2022年 9月13日
- テーマ:その他
9月13日は、父與志久の41回目の命日になります。享年51歳でした。
昭和56年(1981年)は、私は大学1年生。
当時住んでいた福島から、深夜に帰宅するなり父と対面。
しばらくは悲しく泣いていましたが、憔悴しきっている母の姿、
不安そうな妹と弟を見ていると涙は止まります。
まだ幼いとはいえ私の中には、長男としての自覚はあったのでしょう。
「葬儀の準備はどうするのか?」
「商売は続けていくのか?」
「大学は辞めないといけないのか?」
頭の中で、自分を中心に沢山の事がぐるぐると回ります。
当事者となったからです。
幸いにして、葬儀に関しては父の友人やご近所さんが
準備をしてくださいました.
私たち遺族は特に何もすることがなく、勝手に事は進んで行きます。
父は和賀町商工会や和賀町消防団などの役職を担っていましたので、
私たち遺族がビックリするような葬儀となります。
弔問とお悔みを合わせると800人を越え,
特にも消防団のラッパ隊による敬礼と葬送は、見事だったと記憶しています。
高校を出たばかりの私は社会との関わりが薄く、
実は家族であっても父の外での活動はほとんど知りません。
葬儀の弔辞や友人知人からの聞く父の思い出話は、みな知らない事ばかり。
父を見送った祖母は「葬儀は何も心配することがない。
普通に皆さんとお付き合いしていれば、
周りがやってくれるものだ!」
と私に言い聞かせたものです。
齢61歳となって、数多くの葬送に立ち会ってきました。
新型コロナ感染症が蔓延する今だからこそ
普通にお付き合いする意味がようやく分かってきたようです。
石川シュウジ