トルコと日本の深い関係・エルトゥールル号の恩返し
- 投稿日:2023年 2月10日
- テーマ:その他
1985年、当時イラクの大統領だったサダム・フセインは「イラン上空を飛ぶ飛行機の
すべてを48時間後に撃ち落とす」という恐ろしい宣言を出します。
飛行機のすべてとは、外国籍の旅客機も含まれました。
イラク国内に滞在中のすべての外国人は帰国ができないことでパニックに陥ります。
このとき、多くの国では救援機を派遣して自国民の救出に当たります。
ところが、日本人だけがテヘラン空港に取り残されてしまいます。
理由は、憲法違反を危惧した日本政府が、自衛隊機での救助をできずにいたからです。
他国の人々は次々と救出される中、216名の日本人だけがテヘラン空港に取り残されます。
タイムリミットが近づく中、1機の救援機がテヘラン空港に着陸します。それはトルコ航空でした。
トルコもイラクに国民が残っていましたが、自国民ではなく日本人の救出を優先したのです。
そして無事に日本へ脱出し、全員が無事に帰国を果たすことができました。
このとき、イラク国内に残っていたトルコ人は500名。救援機に同乗することは無理だったのです。
残されたトルコ人は陸路でイラクを脱出します。自国民を置いて日本人を救援することは、
通常であれば非難の対象になってもおかしくはありません。
しかし、この行動はエルトゥールル号での恩返しといわれ、
非難する者はいなかったとされています。
トルコ航空が日本人を救出してくれた理由として、
当時の駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は、
「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです」と答えたそうです。
今回のトルコ南部地震では、私たちが恩返しをする番なのです。
石川シュウジ