「何を言うか」よりも「誰が言うか」
- 投稿日:2018年 5月25日
- テーマ:理念
岩手の住まいを暖かく変える「ぺっこ暖」の絆すてーしょん・代表石川です。
昨日は「あり方」が問われるという話をしました。
現在は第196回常会国会の会期中に当たり、連日安倍首相が答弁の矢面に立っている姿をTVで拝見します。
安倍首相が何を言うかに国民の注目が集まっています。
ところで私たち人間は理路整然と理屈で物事を考えているように思っています。
本当にそうでしょうか?
日々の会話の中で、「この人が言うことは、根拠は無いのになぜか説得力がある」とか、
「この人は良いことを言っているのだが、なぜか聞く気がしない」ということは良くあることだと思います。
特に学校から社会に出てみると、本当に何を言うかでは無く、誰が言うかが重要であることを痛感します。
つまり、言葉とは、その「文字列」だけではパワーが宿っていないと思うのです。
話している「言葉」は、なんだっていいのです。
ただ、その言葉を「話している人の背景」こそ、本当の意味での"言葉"なのだと思います。
つまり、これまで行ってきた「行動の蓄積」が言葉になって、受け手に伝わるのです。
その先に、「○○が言うなら、間違いない」と信頼されるような、言葉に重みが生まれてくると思うのです。
言葉とは、その文字列に意味があるのではなく、発言者の"行動"こそが"言葉"であるからです。
結局、言葉とは『何を言うか』ではなく『誰が言うか』に尽きる。
その『誰が』に値する生き方をしているのかが問われます。
安倍首相が言うなら・・・
その『誰が』に値する生き方をしているのかが問われます。
安倍首相が言うなら・・・