台湾の近代化に貢献した岩手三賢人
- 投稿日:2021年 10月12日
- テーマ:理念
日は台湾の自転車メーカーが東日本大震災の際に1000台ものマウンテンバイクを
提供してくれたことを書きました。
それではなぜ台湾の人は私たち日本に良くしてくれるのでしょうか?
少し深堀してみますね。
1895年、下関条約によって、台湾が日本の領土となりました。
当時台湾は「化外の地」と呼ばれており、意味は「文化や文明のおよんでいない場所」となります。
日本の政治システムを持ち込んでも全く機能しませんでした。
この「化外の地」の近代化に貢献した日本人がいます。
中でも「岩手三賢人」と呼ばれているのが、
第4代民生長官の後藤新平先生、農学博士の新渡戸稲造先生、民族学者の伊能嘉矩先生になります。
後藤新平は元々医者ですので生物学の理論で物事を考えます。
「タイの目を、ヒラメの目にはできない」という言葉が残っています。
まず台湾の風土や民族について調査研究をしてから、その土地にあった施策をすることを考えたのです。
つまり検診をしてから治療方法を検討する訳ですね。
農学博士の新渡戸には土壌を調べさせ、土地に合った作物を選択させます。
民族学者の伊能には多数ある部族の言葉や習慣を調べさせます。
結果16もの部族がいることが判明いたしました。
三人の業績については、順次説明して参ります。
代表取締役 石川シュウジ