太平洋の架け橋となった男
- 投稿日:2021年 10月15日
- テーマ:理念
かつての五千円札の肖像としても有名な新渡戸稲造先生。
日本の精神文化を英語で紹介し、世界的ベストセラーになった
「武士道」の著者としても知られています。1920年には国際連盟の
事務局次長を務めるなど、国際人として世界平和に尽力しました。
しかし近年岩手県でもその功績を知らない人が増えてきているのが
私はとても寂しいですね。
日露戦争で日本が奇跡的な勝利を収めることができたのは、
新渡戸稲造の著書「武士道」が大きく関係しています。
日露戦争開戦にともない、米国で親日的世論・講和工作を
伊藤博文から依頼された金子堅太郎は、ハーバード大学の同窓であった
当時のセオドア・ルーズベルト大統領からホワイトハウスの昼食会に招かれました。
そこで『武士道』のことが話題にのぼるやいなや、
高平小五郎駐米公使を通じて大統領に贈呈します。
その内容に感銘したルーズベルト大統領は、
何十冊も買い求めて子供たちや知り合いにこの本を読むことを勧めるほどでした。
ポーツマス条約提携にあたり、ルーズベルト大統領が日露の講和に労をいとわなかったのも、
『武士道』により形成された日本への共感が大きく影響したといわれております。
稲造が21歳の時、東京大学の入学試験を受けた際に
「願わくは われ太平洋の橋とならん」と面接官に自分の志を話しております。
これが花開いた一例ではありますが、次第に日本は国際連盟を脱退し
アメリカとの距離を取るようになっていきます。
晩年の稲造の苦しみが始まるのです。
代表取締役 石川シュウジ