台湾人類学の先駆者
- 投稿日:2021年 10月16日
- テーマ:理念
台湾で岩手の3賢人と呼ばれている伊能嘉矩先生についてお伝えいたします。
実は岩手県人でも、伊能嘉矩という名前さえ知らない人が大半ではないかと思います。
4年前の2017年(平成29年)は、伊能嘉矩生誕150年記念事業が
生まれ故郷の遠野市で開催され、その特別展を妻と見学したことがあります。
伊能嘉矩は慶応3年(1867)、横田村新屋敷(今の遠野市東舘町)の
代々南部家に仕える学者の家系に生まれました。27歳のとき坪井正五郎に
師事して人類額を学びます。
明治 28 年(1895)伊能は学んだ人類学を実践するための新しい場所を求めて、台湾に渡ります。
伊能は台湾総督府で仕事をしながら様々な種族の言語・習慣・生活様式等の調査に情熱を傾け、
各地現地調査により、先住民族を9つの種族に分類します。
伊能は原住民の生活に溶け込む努力をし、民俗的な物品を収集し、
原住民の狩猟や農耕等の生活技術を観察し、地域信仰や道徳体系、地域社会の禁忌を理解しました。
伊能の人類学調査には鮮明な現実的目標がありました。
それは植民地における民衆構造や経済状況、社会的組織の状況を全面的に理解することによって、
原住民の教化や植民地の開拓に関する日本政府の政策決定に資することにありました。
この調査を基にして、民生長官の後藤新平は様々な施策を講じます。
中でも当時台湾に蔓延していた阿片に対し中毒患者漸減政策をとります。
阿片を専売にして登録した中毒患者にのみ販売し、新たな中毒者の発生を防ぎ、
50年ほどかけて阿片中毒者を根絶するというものでした。
伊能の書いた「台湾藩政志」は、現在でも台湾では種族系統研究のバイブルとして
高い評価を得ていることは、私たち県民の誇りですね。
代表取締役 石川シュウジ