避難を呼び掛け続けた天使の声

  • 投稿日:2022年 10月 7日
  • テーマ:その他


10月6、宮城県三陸町に用事があり出向いた私。
東日本大震災当時のお話を思い出したのでご紹介いたします。
以下の文は、神奈川県の社会福祉法人町田市社会福祉協議会の
通信のバックナンバーから拝借。
ここの職員の一人が南三陸町で育ったことから通信としたようです。

2011年3月11日昼過ぎに突然ドドーンと言う音と共に南三陸町役場の天井が左右に大きく揺れ、棚の書類が床に崩れ落ちました。「地震だ!」と叫びながら職員は飛ばされないように必死で机にしがみつきました。かつて誰もが経験したことの無い大きな揺れの地震でした。

 地震が弱まってから、防災対策庁舎の危機管理課で防災無線を担当している未希さんは急いで、町役場の隣りにある防災対策庁舎2階の放送室に駆け込み「大津波警報が出ました、町民の皆さんは早く、高台に避難してください」と放送を始めました。

 午後3時15分ころ庁舎屋上に避難している人から「潮が引き始めたぞー」と声があり、直ぐに「津波が来たぞぉー」と言う叫び声が聞えました。庁舎2階の放送室からは志津川(しづがわ)湾から来る津波が見え、未希さんは「大きい津波がきています、町民の皆さんは早く、早く高台に避難してください」と祈る思いを込めて放送をし続けました。必死の思いで放送を続けてる声が次第に絶叫の声に変わりました。津波はみるみるうちに黒い姿に変わり、グウォーンと不気味な音を立てながら、すざましい勢いで5Mの防潮堤を越え、容赦なく町を飲み込み、そして、庁舎3階の屋上にも一気に襲いかかってきました。それは一瞬のできごとで、とても信じられない光景でした。

津波が去った後、30人ほど居た職員のうちわずか10人だけが生存していました。その中には未希さんの姿は、ありませんでした。町民約2万人のうち、半数近くが避難して命拾いしました。


母親の美恵子さ んは未希さんがいつ帰ってきてもいいように、未希さんの部屋をかたづけて待ち続けていました。震災から43日後の4月23日、未希さんは遺体で見つかりました。変り果てた未希さんを前に両親と婚約者(9月に結婚する予定でした。)は、無念さを押し殺しながら「生きていてほしかった、本当にご苦労様、ありがとう」と未希さんへ話しかけたそうです。

 未希さんの葬儀に駆けつけた町民は口々に「あの時、女性の声で無我夢中で高台に逃げた。あの放送がなければ今頃自分は生きていないだろう」と涙を流しながら写真に手を合わせました。出棺の時、雨が降っていないのに西の空にひとすじの虹が見えました。未希さんの声は「天使の声」として町民の心に深く刻まれました。

hawaii_rainbow.png

人の生命が脅かされた大震災のときに、他人への思いやりが先になり、
自分の命を顧みずに仕事を遣り遂げた未希さんの勇敢な行動。
これからも多くの方に語り継がれて欲しいと思い、みなさまに紹介しました。
 合掌

       石川シュウジ


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