日本とスリランカの深い関係②
- 投稿日:2023年 1月16日
- テーマ:その他
1951年、サンフランシスコ講和会議で莫大な賠償金と
日本分割統治案が、連合国から提案されました。
私が住む東北は北海道と一緒に、ソ連に分割される案となっています。
もしかして私はロシア語を話し、ウォッカで飲んだくれていたかもしれないのです。
この分割統治案は、当時とすれば自然な流れでした。
戦後ドイツは東西に分けられ、その後朝鮮半島やベトナムも、
アメリカとソ連の思惑から南北に分断された事実をみても、
分割統治されるのが世界の常識だったといえるのです。
それではなぜ日本が、事実上アメリカ単独による占領となり、
現在に至るまで1つの国家でいられたのでしょうか?
この窮地を救ってくれたのが当時セイロンの大蔵大臣
ジャヤワルダナ氏の演説なのです。
ジャヤワルダナ氏は、当時まだ44歳の若き政治家でしたが、
日本の真の自由と独立の支持を訴え、会場から大喝采を受けます。
ニュースウィーク誌はジャヤワルダナ氏のことを
「会場の「花形」だった」と伝え、
タイム誌は「最も有能なアジアの代弁者」と絶賛したものです。
ジャヤワルダナ代表は、自らはスリランカ代表ではあるが、
「日本の将来に対するアジアの人々の全般的態度における
彼らの感情をも述べうる」として、こう語ったのです。
つづく・・・
石川シュウジ