志の襷リレー

  • 投稿日:2023年 4月21日
  • テーマ:その他

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昨日まで台湾の教育に命を懸けた六士先生のお話について書いてきました。
実際に私が芝山巌(しざんがん)を訪問しようと思ったのは、ある本が切っ掛けとなります。

 白駒妃登美さんが書いた「日本の偉人の物語」には、後世に語り継ぎたい15の物語が綴られています。
その中のひとつに、台湾の発展に尽くした八田與一と六士先生の物語があり、
知ってしまったからにはどうしても現地に行ってみたくなったのです。

 私は子どもの頃から、学校で学ぶ歴史が苦手でした。
年号を覚えることが苦手で、高校時代には日本史で赤点をとったこともあります。

 白駒さんは、次の様に書かれています。
「歴史は英語で『history(ヒストリー)』」、一説によると、その語源は『his story』。
歴史を学ぶということは、それぞれの時代に生きた人々の思いをひもとき、
それに寄り添い、彼らが未来を生きる私たちにどんな思いを託したのか、
その先人たちからのメッセージを受け取ることなのではないでしょうか。」

 現在を生きている私たち日本人に足りないのは歴史という縦軸になります。
先人たちの思いを知る教育が全くされてこなかったのです。

 誰でも良いので自分が理想とする偉人、または気になる偉人を一人決めてください。
たった一人の偉人の一生を深堀りしてみると、次から次へと偉人が繋がっていくものです。

 歴史を学ぶとは先人たちの「志の襷(たすき)」を受け取ることになります。
次の世代に襷を繋げることが、今を生きる私たちの使命となるのです。

 生きる意味を知ると日々が輝いてきます。

  石川シュウジ



芝山巌事件のその後

  • 投稿日:2023年 4月20日
  • テーマ:その他

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明治29年1月の事件後、日本政府はすぐさま暴動を武力で鎮圧。
身に危険が及んでも武器を取ることなく信念を貫いた彼らを、
台湾の人たちは手厚く葬り、墓を建てました。

その後、芝山巌は「教育の聖地」とされ、命をかけて教育の必要性を説いた姿は
「芝山巌精神」として人々の間で語り継がれるようになりました。

明治29年7月、芝山巌学堂のそばに「學務官僚遭難之碑」が建てられました。
時の内閣総理大臣伊藤博文が揮毫し、側面には教師6人の名前が記されています。

昭和5年には台湾教育に殉じた人々を祀る芝山巌神社が創建され、
今も毎年2月1日に慰霊祭が執り行われています。

しかし、日本が戦争で負けると芝山巌の景色が一変します。
台湾から撤退するとすぐに中国国民党は『學務官僚遭難之碑』を倒し、
六氏先生の墓や芝山巌神社も破壊され、本殿があった場所に
蒋介石の側近の国民党軍統局副局長、戴笠を記念する「雨農閲覧室」が建てられました。

1958 年には「芝山巌事件碑記」という碑が設置されます。
今も建つその碑には、日本人を襲ったゲリラは「義民」に、
惨殺された教師は侵略者の手先のように記されており、
芝山厳は反日教育の場として利用されるようになりました。

権力者の世代が変わって民主化の動きが進むと、次なる転機が訪れます。
1995年、芝山巌学堂の後身となる士林国民小学校で
開校百周期年の祝賀式典が行われた際、
卒業生有志によって「六氏先生之墓」が再建され、
2000年には倒れたままになっていた「学務官僚遭難之碑」も元に戻されました。

芝山巌を取り巻く状況は、時代とともに変遷していきます。

尊い信念を持って台湾教育の礎を築いた六氏先生。

悲しい歴史ですが、日本人として一度は訪れておきたい場所になりますね。合掌

   石川シュウジ



芝山巌事件と六士先生

  • 投稿日:2023年 4月19日
  • テーマ:その他

台湾は明治28年(1895年)4月17日の下関条約によって日本領となりました。
この年、文部省学務部長心得の伊沢修二は日本全国から集めた7人の優秀な人材を連れ、
台湾に渡り、台北北部の士林に「芝山巌学堂」という最初の学校を開き、日本語を教えました。
生徒はわずか6名からのスタートです。
この頃の台湾は多民族でそれぞれ言葉が通じませんでした。
これより日本語が共通となり、民族間で会話が可能になるほか、
日本語を学習することにより日本語で書かれた近代学問書が読めるようになっていくのです。

明治28年の暮れ、近衛師団長として台南に出征していた北白川親王宮能久親王が
マラリアで不帰の客となってしまい、伊沢修二は7人の先生のうち一人を連れて、
親王の棺とともに一時帰国します。
この伊沢修二の留守の間に悲劇が起こります。

この頃の台湾は内地人を敵視するゲリラ、匪賊がおり、
周辺住民は教師たちに再三退避を勧めましたが、
「もとより教育とは命がけなもの」として聞き入れようとしませんでした。

明治29年(1896年)元旦、6人の教師と一人の用務員が
新年の参賀会に出席するため、芝山巌を下山しようとしたとき、
百人の抗日ゲリラに取り囲まれ、惨殺されてしまいます。

台湾の教育に情熱を捧げ、教育者として殉職した六人の教師は
多くの人に感銘を与え「六士先生」(六氏先生とも)呼び、
その精神は「芝山巌精神」と今も讃えられているそうです。つづく

       石川シュウジ

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【六人の教師の名前】

山口県、楫取道明 (38歳、楫取素彦の次男、吉田松陰の甥)

愛知県、関口長太郎(37歳)

群馬県、中島長吉 (25歳)

東京都、桂金太郎 (27歳、東京府士族)

山口県、井原順之助(23歳)

熊本県、平井数馬 (17歳)



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