与生を生きる
「与生」という言葉があることを昨日友人のフェイスブックで知りました。
調べてみたら、造語のようですね。
もちろん、「余生」とは全く違う意味で、
与えられた生命(いのち)という意味で使うようです。
私たちは、自分ひとりの力で生きているのではなくて、
両親から生を受け、多くの人たちの愛情と善意によって
「生かされている存在」なのだということです。
「与生を生きる」とは、そのことに感謝して、
今を生きるということです。
感謝をして生きる上で最も大切なことは、
今までは周囲から「与えられて生きてきた」のだから、
これからは「与えて生きていこう」という考え方です。
「与生」とは、与えられた生命であるということに
感謝して生きるだけではなく、与えることに喜びを
見出していこうとする考え方です。
とても素敵な考え方ですね!
つまり「与生」という考え方には、
「与えられたことへの感謝」と
「与えることで得る喜び」の両面があるのです。
人生100年時代、第2の人生、
その次の第3の人生を「余った生」ではなく「与えられた生」と捉えることで、
PPK(ピンピンキラリ)と輝くことができるのです。
自分のために頑張るよりも、人の喜ぶ顔を見るために頑張る方が
不思議にも力が出るものですね。
石川シュウジ
社会参加と死亡率
静岡県内の74町村の高齢者(65~84歳)2万2000人を対象に
以下の3つの要因の状況を定期的に追いかけて、
死亡率との関連性を9年間に渡って追跡調査しました。
運動要因 : 1日合計30分以上の歩行をしたか
栄養要因 : 肉・魚・大豆製品・卵などを含むおかずを食べたか
社会参加要因 : 町内の作業・ボランティア等の地域活動に参加したか
その結果が上の表の様になりました。
なんと3つとも達成した人は、1つも実施しなかった人に比べて
死亡率が半分以下になったのです
つまり、運動と食事に気を付けることは大切ですが、
社会とのつながりがないと人間は健康を維持できないのです。
コンパスウォークを一つの町内会に見立てて、
その中で各々の役割分担を持つことも、
面白い試みかもしませんね!
石川シュウジ
健康の定義
皆さんはWHO(世界保健機関)の健康の定義をご存知でしょうか。
1978年、旧ソ連カザフ共和国アルマ・アタで開催された国際会議で
アルマ・アタ宣言というものが出されました。
その中で、WHOの健康の定義が改めて明らかにされています。
「健康とは身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、
単に疾病のない状態や病弱でないことではない」と書いてあります。
病気でないことが、イコール健康だというわけでないところがポイントになります。
「社会的に完全に良好な状態」とは、社会参加がなされていることを意味します。
つまり身体的・精神的に安定していても、社会参加されていない状態を健康とは呼ばないのです。
家庭や地域、組織の中で何らかの「役割」を果たすことによって、
人間は自分の生きている意味を感じるのです。
誰もが自分を必要としている居場所が欲しいものなのです。
コンパスウォーク北上鬼柳では、利用者様の中で
元気な方には、洗濯物のタオルを畳んでいただいています。
「お役に立つ」ことで「ほめられる」、そして必要とされる。
社会参加とは、小さなコミュニティの中でもできることなのです。
石川シュウジ