クリスマスケーキの思い出
- 投稿日:2022年 12月25日
- テーマ:その他
メリークリスマス! 毎年クリスマスのケーキを見ると少年時代を思い出します。
私は4人兄弟の長男として、和賀町藤根商店会の方に可愛がられて成長してきました。
母が藤根で金物屋、父が鬼柳でガラス屋と両親とも商売をしていた関係で、
地元のお店を使うことは至って普通のことでした。
商店会には藤根十文字のみつや菓子店さん、
もうひとつは藤根駅前の稲葉菓子舗さんと2つのお菓子屋さんがあります
クリスマスには、二つの菓子屋さんから毎年オートマチックにクリスマスケーキが届きます。
当時バタークリームのケーキが主流でしたが、兄弟で喧嘩しながら
少しでも大きくカットしたケーキを奪い合ったものです。
ある年のことです。金物屋には親戚の伯母さんが勤めていたので、
私たち4人の子どものためにアンデルセン(太田菓子舗)さんの
ケーキを届けてくれたことがありました。
アンデルセンさんのケーキは生クリームで、
スポンジの中間にも生クリームがサンドされているものでした。
ショートカットケーキでしか見たことのない生クリーム。
クリスマスケーキ、それもホールです。
私たち兄弟は、争って「美味しい!」を連発しながら頬張ります。
子どもの頃の記憶ですので定かではありませんが、
7人家族でお腹一杯になっても余る程でしたので、
9号もしくは10号位の大きさだったかもしれません。
翌日の朝残ったケーキを食べようと思ったら既にありません。
二人の弟が全て食べてしまったのです。
理由を聞くと「兄貴にとられるから・・・」というもの。
小さな弟たちなりに考えて、朝早く起きたようです。
現代の日本では、食べ物を争って食べることは少ないと
思います。この恵まれた社会に感謝いたしますね。
石川シュウジ
弱い自分を認める
- 投稿日:2022年 12月24日
- テーマ:
「正論をかざしても誰もついてこないのはなぜ?」
しばらく答えはみつからず、つねに同じ問がグルグルと回るだけでした。
これまで自分が頑張ってきた理由はなんだったのか?
自問自答を繰り返します。
しばらくすると「他人から認められたいため」ということに気が付きます。
学歴も資格も勉強という努力なしでは得られるものではありません。
取得するために努力した過程は誰もが認めるところだと思います。
しかしその学歴や資格を、自分を着飾るためのもの、
つまり他人から評価されたいがために頑張ってきたことが見えてきました。
本来学校での学びや、資格は社会に役立つ人になるための一過程にしかならないのです。
学校を出てから、資格を取得してからが重要であり、学校での実力と社会での実力全く違うものなのです。
他人からの評価を気にするのは、自分に自信がないからであり、
他人の価値観で生きることになります。
自分の人生でありながら、自分が主役で生きていないことが見えてきます。
自分を内省するに要した時間は約10年。
歳を重ねたこともあり、次第に弱い自分も
認めることができるようになっていったのです。
弱い自分を認めるには勇気が必要です。
そこが自分の人生を生きるスタートとなりました。
石川シュウジ
正論をかざす私
- 投稿日:2022年 12月23日
- テーマ:その他
自己肯定感の低かった私。心に鎧をまとい「ありのままの自分を肯定する感覚」が無い私。
つまり自分自身が嫌いな私は、人に厳しく辛く当たります。
どこでも正論をかざすことが正しい生き方だと思っていました。
ところが振り向くと誰もついてこないのです。
ある時「あなたは正しいけれど、でも私はあなたが嫌いです!」と言われたのです。
今思うと正論という剣で相手の心を傷つけていることが分かっていませんでした。
自己肯定感の高い人は、自分の中に大切なものがあるので、
他人の中にも大切なものがあることが分かっています。
他人との違いについても認めることができるので、優しく接することができるのです。
自分を認めてくれる人と、正論で相手を負かそうとする人、どちらに人はついてくるのか?
誰がみても自分を認めてくれる人についていくものです。
しばらくは、「正論をかざして何が悪い!」とうそぶいていましたが、
実際には誰も認めてくれないことに次第に寂しさを感じていったのです。
正論をかざし心の弱さを隠す。
これは心にバリアを張りながら、
相手を受け付けないことと同じことなのです。
石川シュウジ