スリランカ「一眼を献ずるもの」
- 投稿日:2023年 1月19日
- テーマ:その他
スリランカのジャヤワルナダ元大統領の遺言どおり、
彼の片目の角膜は群馬県に住む女性に移植されました。
後に国内で初めて角膜移植を推進する団体が生まれたのも、
もとを辿れば彼のおかげなのです。
現在,日本国内で角膜移植を希望し,待機している患者さんは5000人以上とされているが,
実際には3万人以上の患者様がいると推定されています。
しかしながら,提供角膜の不足と新型コロナの影響により,
日本国内で行われている角膜移植は年間1000件を切る数となっております。
その角膜提供ですが、日本国内で半分、外国(アメリカ、オーストラリア、スリランカなど)からの
輸入角膜半分に頼っているのが現状です。
スリランカ人が献眼する理由があります。これは、「一眼を献ずるものは成仏できる」とする
「釈尊の物語」(ジャータカ・釈尊の前世のお話)に拠っています。
釈尊が前世において、自らの眼を他者に与えた物語があります。
このために、釈尊の教えに近づくために、スリランカの仏教者の間では、
献眼することが行われているのです。
ジャヤワルダナ氏はクリスチャンから仏教徒に改宗した人ですので、
その教えを実践したものと考えられるのです。
(スリランカ人口の約7割が仏教徒)
私と妻はアイバンクに登録しておりますが、
年々新規登録者の数が減ってきているのが大きな問題になっています。
あなたも「一眼を献ずるもの」となって、
人のお役に立てることを喜びにしてみませんか!
石川シュウジ
日本とスリランカの深い関係④
- 投稿日:2023年 1月18日
- テーマ:その他
サンフランシスコ講和会議でスリランカ代表の蔵相ジャヤワルダナ氏は、
日本を自由な独立国にすべきこと、日本への賠償請求権を放棄することを主張。
彼の演説に各国が賛同したおかげで日本は米ソ英中4国の領土に分割されることなく
賠償金を支払うこともなく戦後の国際社会に復帰できたのです。
日本が戦後初めて正式な国交を結んだ国は、スリランカです。
後にそのスリランカの大統領となったジャヤワルダナ氏は、
遺言に次のような一文を書き残しています。
「自分はこれからもスリランカと日本という二つの国の行く末を見守りたい。
だから、二つの目の角膜の一つをスリランカ人に、もう一つを日本人に移植してほしい」
この遺言どおり、片目の角膜は群馬県に住む女性に移植されました。
後に国内で初めて角膜移植を推進する団体が生まれたのも、
もとを辿れば彼のおかげなのです。
ところが日本とスリランカとの関係は、 戦後、ほとんど語られることはありません。
かつて吉田茂首相は、「スリランカへの恩を、日本人は未来永劫伝えなければならない」と言っていたものです。
今私たちが平和に暮らせるのは、スリランカのおかげであることを忘れてはならないのです。
石川シュウジ
日本とスリランカの深い関係③
- 投稿日:2023年 1月17日
- テーマ:
演説をするJ.R.ジャヤワルダナ氏
サンフランシスコ講和会議で蔵相ジャヤワルダナ氏は、
日本を自由な独立国にすべきこと、日本への賠償請求権を放棄することを主張。
その理由を次のように述べています。
「それは、我われアジアの諸国と日本との間には、
長い間続いてきた深い関係があるからであります。
また、アジア諸国の中で日本だけが独り強力にして、
しかも自由で、そのために我われは日本を、保護者であり、
また友であるとして見上げていたからであり、
そして、アジアの隷従(れいじゅう)人民が日本に対して抱いてきた
高い尊敬のためであります。
我われは、アジアの限りなく多くの人々の生き方を気高いものにした、
あの偉大な導師の言葉、『憎しみは憎しみによって消え去るものではなく、
ただ愛によってのみ消え去るものである』という言葉を信ずるからであります。
これは仏教の創始者であるブッダの言葉であります。
この条約案は、敗北した敵に対して、公正であると同時に寛大です。
我われは日本に対して友情の手を差し伸べましょう。」
会議では、自由主義陣営が警戒するソ連が日本に厳しい条件を
突きつけようとしたのを、ジャヤワルダナ氏が演説の中で痛烈に
批判。このこともあり会場のオペラハウスのガラスが割れん
ばかりの拍手が巻き起こりました。
アジアの小国の主張が世界を動かした瞬間でした。
ジャヤワルダナ氏の演説のおかげで、我が国は復興に邁進し、
今日の繁栄の礎を築くことができたのです。ブッダの精神を
持って手を差し伸べてくれたジャヤワルダナ氏。
まさに日本の恩人なのです。 石川シュウジ