人間は習慣の生き物
- 投稿日:2024年 1月16日
- テーマ:その他
人間は習慣の生き物と言われています。今朝起きて会社に来るまでのことを思い出してください。車の運転は、特に操作することに意識を置かなくてもいつも通りに出来ているはずです。
私たちが毎日行っている選択は、よく考えた末の意思決定だと思っていますが、実はそうではないのです。多くは習慣によるものなのです。デューク大学の学者が2006年に発表した論文によると、毎日の行動の、じつに40パーセント以上が、「その場の決定」ではなく「習慣」だといいます。
この習慣には良い習慣と悪い習慣があります。習慣が周りの環境を作りだし、自分の人生を作っているともいえます。つまり、この「習慣」というものを見直し、変えることによって自分を変え、望ましい人生に変えていけるかもしれません。
心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる ウィリアム・ジェームズ
さて新しい年も半月が過ぎましたね。思いを新たに今年の抱負や目標を抱いている人も多いと思います。
なりたい自分がいて、その人はどんな行動を取るのかイメージします。
なりたい自分の行動を毎日のルーティンワークとして繰り返す。
それが習慣となって意識しなくても出来るようになるのです。
「今年はダイエットしよう!」と目標を立てます。
その意思決定よりも、身に付いた習慣が囁きます。
「明日から、やれば大丈夫!」まるで悪友のようです。
良い習慣は、人生を自動操縦してくれる素晴らしい友人なのです。
石川シュウジ
牛玉宝印
- 投稿日:2024年 1月15日
- テーマ:その他
昨日の日曜日、平泉にある達谷窟毘沙門堂まで足を延ばしてみた。丁度どんと祭の準備で寺の下働きの者たちが忙しくしていましたね。今回の目的は、"最強の御札"と言われる「牛玉宝印(ごおうほういん)」をいただくためで、有難く頂戴してきた。この御札は最強のお守りとして人気が高いのですが、かつては末恐ろしいお札でありました。
「牛玉宝印」とはなにか?寺院・神社から発行される一種の護符。厄よけとして使われていたほか、神仏へ誓いを立てる際の言葉を文書にした「起請文」の用紙としても用いられていました。起請文には、誓いを破れば天罰が下ると記されていました。
特に武将同士の誓約に牛王符が用いられるようになったのです。源義経が、兄頼朝に、反意がないことを誓った手紙とされる「腰越状」に使われた。
豊臣秀吉の臨終が近くなったとき、徳川家康をはじめとする五大老、五奉行に「熊野牛王符」に起請文を書かせ、ここに豊臣秀頼に対する忠誠を誓約させた。
NHKの大河ドラマでも「鎌倉殿の13人」「真田丸」「おんな城主直虎」では、誓約文を護符に記すシーンが何度か流れているようです。
お正月に一年の誓いを神仏に誓った人は数多くいます。私もその一人です。
神仏にお願いをする他力本願と、命を掛けて使命を果たす自力本願では、自ずとその結果は違ってくるはずです。
神仏は尊べども、頼むべからず!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現するようです。
石川シュウジ
達谷窟毘沙門堂
- 投稿日:2024年 1月15日
- テーマ:その他
日曜日に平泉の達谷窟毘沙門堂を尋ねてみる。
達谷窟毘沙門堂は、延暦20年征夷大将軍坂上田村麻呂公の創建以来、一千二百余年の歴史を誇る護国の精舎で、その祭事を執行する別當の達谷西光寺は、翌延暦21年奥真上人によって開かれたとある。歴史書にも「毘沙門天ノ化身来タリテ我国ヲ護ル」と記される様に、大将軍の本地を毘沙門天と見なす『田村信仰』の発祥地として、国の史跡に指定されています。
およそ千二百年の昔、惡路王・赤頭・髙丸等の蝦夷がこの窟に塞を構え、良民を苦しめ女子供を 拐さらう等乱暴な振舞が多く、国府もこれを抑える事が出来なくなった。そこで人皇五十代桓武天皇は、坂上田村麿公を征夷大将軍に蝦夷征伐の勅を下された。
(達谷窟毘沙門堂公式ホームページより)
同じ様な説明が、現地の看板にも書かれてあります。ところで惡路王・赤頭・髙丸等の蝦夷が乱暴な振舞いをしたとあるが、実際はどうだったのでしょうか?
歴史を学ぶ上で、正史=正しいのではありません。これは、正論=正しいと同じことで、特に歴史は勝者の歴史に書き換えられる場合があるからです。
征服された者からみる歴史を逆史と呼ぶが、歴史は逆から考察してみるとその当時の人物が生き生きと躍動してみえるものです。
京の都からみて、まつろわぬ民と呼ばれた私たちのご先祖様。ご先祖様を供養する霊場として手を合わせたい。
石川シュウジ