本立末治(もとたちてすえおさまる)

  • 投稿日:2021年 12月10日
  • テーマ:理念

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 私の人生を振り返えると、これまではブレブレの人生でした。
振り子に例えるとある時は右に、ある時は左にとその振れ幅が大きく
周りの人たちにも大きな影響を与えてきました。

新しいことが好き、人と同じことが嫌いな私は、
仕事をする上で最新の最新の「やり方」を取り入れます。
常に時代の最先端を取り入れることが格好良いと思っている程でした。

しかし振り返ってみると、社員は疲弊しています。
社員の疲弊はそのまま会社の業績へ跳ね返ってきたのです。

そんな時、臥龍こと角田識之さんというコンサルタントに出会います。
臥龍先生は「あり方」を説くだけで、「やり方」については一切教えない一風変わったコンサルタントでした。
「あり方」とは、その人の人生観を反映した志であり、
企業にとっては理念といえるものです。

 この臥龍先生の下で学ぶことにより、私は会社の理念を作ります。
理念を「全ては家族の笑顔のために」し、社名も「絆すてーしょん」へと変更していったのです。

 新渡戸稲造先生の言葉に「本立末治」があります。
これには物事の根本、基礎基本を掌握することによって、
自ずと結果が良くなるという意味があります。

仕事をするということは苦労の連続です。しかしながら

何の為にやっているのかという理念があるから、頑張れる

のです。おかげで次第に私の人生も良い方向に大きく

変わってきたようです。有難いことですね。

代表取締役 石川シュウジ



日本のボースカウト発祥の地

  • 投稿日:2021年 12月 9日
  • テーマ:理念

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     初代総長後藤新平

北上市和賀町藤根にある北上平和記念展示館には、
故高橋峯次郎先生に戦地の教え子から寄せられた軍事郵便(7000通)や
銃、衣服、教科書など戦時資料約400点が展示されています。
合わせてボーイスカウトの活動資料も多く展示されております。

さてボーイスカウトの初代総長さんは、岩手県奥州市の後藤新平先生ですが、
当時東京市長だった後藤新平先生にボーイスカウトの存在を知らせたのが峯次郎先生になります。

峯次郎は、ボーイスカウトという少年団活動のあることを日露戦争で出兵した際に聞き、
帰国後郷土出身の後藤新平さんに照合して調べてもらいます。
日本もこれから世界的視野に立って生きていく若者を育てなければならないということで二人は意気投合。
ところが、藤根が第一位隊で東京が第二位隊では具合が悪いと、
後藤新平さんにたのまれて、藤根は第二位隊になったと言われています。
(藤根村史より)

もの好きな私は、過去に東京にあるボーイスカウト日本連盟に問い合わせしてみました。

「その当時まだ全国的な組織がなく、日本各地でボーイスカウトが

立ち上がったようです。どこが一番という証拠がありません。

しかしながら、藤根少年隊と東京少年隊が交流した事実は

残っている。」との回答でした。

つまり最初に手を挙げた場所が、日本のボースカウト

発祥の地を名乗って良いと私は考えます。

是非、一度北上平和記念展示館を訪問してくださいね。

代表取締役 石川シュウジ



最北の特攻出撃基地

  • 投稿日:2021年 12月 8日
  • テーマ:理念

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本日の岩手日報に、北上市和賀町にある後藤野飛行場の悲劇についての記事が掲載されていた。
「最北の特攻出撃基地」であったという事実は、北上市民でさえ知らない人の方が多く、
戦後76年の歳月の流れと共に風化していくのはどうしようもないように思える。

私の住まいは和賀町藤根で後藤野に隣接している地域。飛行場跡地付近は現在後藤野工業団地が整備されており、
私は若かりし頃アルミ製ドアをユニットバスメーカーに納品する仕事をしていたので、ほぼ毎日通った場所になる。納品で通っていた当時はこの悲劇のことは知らず、立派な記念碑を何度か眺めていただけでした。
まして「特攻基地」と言えば、鹿児島の「知覧」や「鹿屋」が有名で、遠い九州での他人事のように
これまで私は生きてきました。

今回新聞に載っている平賀冨久子さん(91歳)は、飛行場の整備班の一員として働いたと記事にある。
亡くなった私の父は昭和5年生まれで、生きていれば91歳。
きっと父も同じころ飛行場の整備に駆り出されたのかもしれない。
そんな話を生前一度も聞くことはなかった。
この記事の社員に写っている冨久子さんの弟さん昭士さんは、元和賀町役場職員で存じ上げている。
更に当時の資料を保管している北上平和記念展示館の学芸員・高橋源英さんはご近所に住んでいる。
とても身近な人たちが関係している。

戦争の悲惨さは体験した人でないと分からない。

せめて命を散らした特攻隊員たちの平和への思い

を後世に伝える姿勢はなくしてはならない。

 今日は日米開戦から80年!

代表取締役 石川シュウジ



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