春です!運動の後は乾杯!

  • 投稿日:2022年 4月 3日
  • テーマ:その他

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今日は朝から天気がよく、寝室に朝日が入ってきます。
休みにしたいことが沢山ありために通常通り起きてしまいました。(午前6時)

まずは家の掃除です。丁度妻が実家に帰っており
、日曜日の朝から音を出しても苦情もなく、
かえって気兼ねなくできて良かったです。
(日頃は全くやらないので罪滅ぼしの一つです)

次に、会社に来て(午前9時)送迎用ワゴン車の洗車をします。
毎日洗車しているのですが、どうしても落ちない鉄粉があり気になっておりました。
休みにしかできないと洗車用ねんどを使い、丁寧に鉄粉を取り除きます。
その後ワックス掛けと室内のクリーニング。これを2台繰り返します.
ピカピカの車両は気持ちの良いものです。

気が付くとお昼です。気温は13度位と動いていると汗ばむ陽気となっていますので、
自転車に乗ることに決め準備します。
シーズンの最初になりますので、準備に時間が掛かりました。

自転車の掃除と整備、ヘルメットやシューズの用意に小1時間を要します。

さて張り切って自転車を走らせ会社を気分爽快にスタート!
しかし、5キロを過ぎたあたりから徐々にスピードが落ちていきます。
冬季にため込んだ脂肪が邪魔をします。
なんと体が重いことでしょうか?

稲瀬から口内を周り会社へ戻ります。サイクルコンピューターに

よると、22キロを1時間4分掛けて走ったことになります。

その晩は運動したことで、お酒が美味しいこと!

一日中体を使ってことを理由に、酒量も増えた日曜日と

なりました。単に理由を付けて飲みたいだけですね。

     石川シュウジ



4月9日北上展勝地さくらまつり開始

  • 投稿日:2022年 4月 2日
  • テーマ:その他

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テレビから全国各地の桜開花情報が流れ、春めいてきましたね。
みちのく三大桜名所である北上展勝地のさくらまつりが、
4月9日から30日まで開催されます。あと1週間です!

さて北上展勝地の始まりですが、後の黒沢尻町長となった沢幸(沢藤幸治)さんが、
27歳の時にこの周辺には陣が丘という景勝地もあり、
そこを活用し日本一・世界一の桜の名称を作りたいという思いから始まりました。

36歳の時、1917年に「和賀展勝会」を設立し、当時の岩手県出身の原敬首相に働きかけ、
桜の権威であった三好学東京帝大教授と井の頭公園や多磨霊園、
弘前城公園を手掛けた造園家の井下清技師の指導と設計のもと桜の植栽を行ない、
大正10(1921)年に開園しました。

「展勝地」という名前の由来は、陣ヶ丘からの眺めが素晴らしいところから、
展望のきいた名勝・景勝の地という意味から、沢幸さんの親友で当時の司法大臣、
風見章氏が事業団体の名称を展勝会と命名したことから名づけられました。

丁度昨年の2021年が開園100周年でしたが、コロナ禍の中

「さくらまつり」は開催出来ないでしまいました。しかし11月

23日に記念式典が行われ、開園50年の記念に展勝地内の「みちのく

民俗村」に建立した沢幸さんの銅像を、多くの人の目に触れやすく

したいとの思いから、桜並木を一望できるSL広場に移設しております。

今年は3年ぶりに「さくらまつり」が開催できそうですので、

是非沢幸さんの銅像も見て欲しいものです。

今桜を楽しめるのは、先人のおかげなのです。

       石川シュウジ



4月1日の思い出

  • 投稿日:2022年 4月 1日
  • テーマ:その他

今日から新年度スタートですね。
この一年も「明るく、元気に、楽しく」始めましょう!

さてエイプリルフールといって思い出すのが、
私たち夫婦が結納を交わした日になります。

当時は仲人さんを立てることがまだ普通であったので、
取引先である東北物産(株)の故池野一雄様、故富久様ご夫妻にお願いいたしました。
当時池野様は現役の社長でしたので、お休みの日に挙式ということで
1990年4月1日(日)になりました。

会場は、今はなき仙台市内のホテル仙台プラザ、
通称「プラザホテル」と呼ばれておりましたホテル。
現在は解体され、NHK仙台放送局の新社屋(仙台放送会館)になっております。

緊張していたこと、齢を重ねたこともあり当日の様子をほとんど覚えていませんが、
池野ご夫妻のお人柄により和やかな式となりました。
故人となられましたが、感謝申し上げます。

さて、このプラザホテルにあったバー「MainBar OAK Room」の思い出です。

結婚後、義父にこのバーに連れていかれ、スコッチをご馳走になりました。
バランタイン21年だったと思います。
当時かなり高価だったので、「一杯だけ!」と義父に念を押され、
大切に舐めるように飲んだものです。
バーは名の通り内装はオークで統一され、上品な紳士淑女が集う大人の社交場で、
若干29歳の私は緊張しておりました。

 記憶が確かであれば、このバーには専用のボトルケースがあり、
年間で借りるシステムだったと思います。
年間契約には、水と氷のセットまでは料金に含まれており、
ボトルは自分で購入しても良かったと思います。
義父とはその晩は国分町を5件程はしごして、
美味しいお酒と料理をたらふくご馳走になりました。

 今振り返ると1990年はまだバブルの時代。
それから32年が過ぎあの時の熱気がまるで幻のように感じています。
これも先週亡くなった義父との楽しい思い出になります。

        石川シュウジ



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