• HOME
  • 0から1への挑戦

大相撲・錦木塚右エ門 (初代)2

  • 投稿日:2018年 12月 1日
  • テーマ:その他

47162455_555785608180979_6393875297673936896_n.jpg
北上史談会「北上の先人」によると、1761年に和賀郡黒岩村万内(北上市黒岩)に一人の怪童が誕生したある。
成長とともにその怪力ぶりが南部公の認めるところとなりそのお抱え力士となった。
23歳の時に江戸に出、三代伊勢ノ海村右衛門部屋から滝の上音蔵(喜蔵とも)の四股名で西幕下尻に張りだされた。この滝の上については史談会では触れていないが、私が思うに故郷黒岩にある「お滝さん」に由来しているように思う。
さて5年後に錦木塚右衛門と改名し、45歳で当時の番付最高位の大関になった。
しかし相撲の世界は厳しくその後体調を崩し相撲を休むことが多く、二所ノ関軍右衛門を名乗り、改めて二所ノ関初代年寄りとなり弟子育成に当たることになる。
その後部屋は繁栄に繁栄を重ねて、現在の二所ノ関・佐渡が嶽・二子山・放駒・尾車・鳴門・・・
など、多くの横綱を張った力士を育てた。
部屋の繁栄とは逆に、同力士は社交が下手だったために、晩年は不遇で郷里黒岩に帰りさびしく終わったという話が伝わている。
昭和17年(1942)9月17日、初代二所ノ関の供養相撲が黒沢尻(北上市)で行われた前日、大関・玉の海、関脇・佐田の花、神風の当時相撲界の名力士3人が正洞寺を訪れ、ねんごろに初代二所ノ関を排し帰られたのであった。




大相撲・錦木塚右エ門 (初代)1

  • 投稿日:2018年 11月30日
  • テーマ:その他

gunemon-thumb-403x500-2348.jpg
錦木というしこ名は盛岡藩お抱え力士が代々名乗った名前である。
ところで最初に錦木を名乗ったのは、二所ノ関部屋の開祖である
大関二所ノ関軍右衛門(1760~1823)になります。
この初代は北上市黒岩の出身で名を小田島音蔵と言います。
四股名を錦木塚右衛門として文化元年(1804)に江戸相撲の最高位の大関に就きます。
年二場所、一開催10~13日の当時、体重109Kgの錦木は、幕内を24場所務め60勝しています。
引退後、初代二所ノ関軍右衛門を名のり多くの弟子を育成しました。
なかでも、甥の小田島音吉(1790~1832)四賀峯音吉は、八戸藩お抱えの大関を10場所務めています。
写真の化粧まわしには、盛岡藩のお抱えを示す違い菱の印紋があしらわれています。
明日は、北上市出身の小田島音蔵について書きます。
つづく・・・

大相撲・錦木関(その4)四股名

  • 投稿日:2018年 11月29日
  • テーマ:その他

大相撲で活躍する錦木徹也関。
この四股名は、南部藩お抱え力士が代々使った名前です。
・錦木塚右エ門 (初代) 伊勢ノ海部屋 大関
・錦木塚五郎(初代) 二所ノ関部屋 小結
・錦木繁之助(錦木盤之助)雷部屋 関脇 埼玉県出身だが盛岡藩お抱えになり改名
・錦木塚五郎(2代)二所ノ関部屋 小結 
・錦木塚右エ門(2代)二所ノ関部屋 前頭筆頭
・錦木繁之助 竹縄部屋 十両筆頭 香川県出身だが盛岡藩お抱えになり改名
・錦木徹也 伊勢ノ海部屋 東前頭三枚目

昔は横綱という番付がなく大関が一番上となります。
錦木を名乗った力士には強い人が多くいて
現在の錦木徹也関にも頑張って欲しいものですね!



    前の記事 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11

    • ナニダレの法則

    • 「同じことを言うにも、誰が言うかによって周りの反応が違う」 そう感じたことはないでしょうか? 会議などで、同じような意見を言ったのに、立場によって承認されたり、流されたりすることがあ
      >>詳しく見る

    夢を叶えるマイスター

    • 床の改修工事終了

    • 絆すてーしょん 高橋です。床工事完了です。床下地から仕上げまでの改修です。フロアーは無垢材のナラのオスモ仕上げ材で施工しました。ちょっとの床貼りでしたが、無垢はやっぱりいいですね。有
      >>詳しく見る